
「関東大震災朝鮮人虐殺当時の写真」として韓国「聯合ニュース」に掲載された写真。
チョン・ソンギル名誉博物館長は「女性の死体だけ選んで下衣をはがし、もう一度恥をかかせたことは虐殺を凌駕する蛮行の極限状態」と憤慨した。
http://japanese.joins.com/article/893/167893.html?servcode=A00§code=A10
関東大震災朝鮮人虐殺当時の写真か 韓国研究家が公開
2013年02月03日14時24分
[ⓒ聯合ニュース]
【ソウル聯合ニュース】関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺をめぐり、東京都教育委員会が来年度版の高校日本史の副読本から「虐殺」の文言を変更すると発表したことに批判が高まる中、韓国記録写真研究家のチョン・ソンギル氏が3日、虐殺事件当時に撮影されたとみられる写真を聯合ニュースに公開した。
写真の上部には「大正十二年九月一日」と日付が書かれている。大正12年(1923年)9月1日は関東大震災が発生した日。
写真には数十人の遺体が写っており、遺体の下衣は取られている。遺体の周囲には男性らが長い棒を手にして立っている。
チョン氏は「犬が亡くなっても碑石を立てる日本人が自国の人だったら死人の遺体の下衣を脱がせただろうか。虐殺以上の蛮行」と憤った。棒を持っている男性らは大震災当時、朝鮮人を虐殺した自警団と推定されるという。別の写真では腐敗した遺体が積み重なっている様子が収められている。
3~4年前、日本で写真を入手したチョン氏は「写真を見て驚愕した。女性の下衣が脱がされているなど、残酷で恥辱的だったので公開したくなかった」と話す。だが、東京都教育委員会の発表をニュースで知り、歴史を正しく知らせるため公開を決めた。チョン氏は「恥辱的な歴史だが、虐殺で犠牲になった約6000人に上る朝鮮人の魂はわれわれが守らなければならない。写真など資料を示し、日本人が過去に犯した蛮行を告発すべきだ」と強調した。
朝日新聞によると、東京都は高校日本史の副読本「江戸から東京へ」に記述されている「大震災の混乱のなかで数多くの朝鮮人が虐殺された」との記述を「(朝鮮人虐殺犠牲者の追悼)碑には、大震災の混乱のなかで、『朝鮮人の尊い命が奪われました』と記されている」と変更することにしたと報じた。都教育委員会は「誤解を招く表現」のため修正を決定したという。
関東大震災が起きた当時、日本政府は荒れた民衆の気持ちをなだめるため、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」などの流言飛語を流し、興奮した日本人により在日朝鮮人約2600~約6600人が虐殺された。
>関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺をめぐり、東京都教育委員会が来年度版の高校日本史の副読本から「虐殺」の文言を変更すると発表したことに批判が高まる中、韓国記録写真研究家のチョン・ソンギル氏が3日、虐殺事件当時に撮影されたとみられる写真を聯合ニュースに公開した。
東京都教育委員会は、独自発行する高校日本史教科書(副読本)「江戸から東京へ」で、「関東大震災時に朝鮮人が虐殺された」という表現をなくすことにした。(平成25年1月25日付朝日新聞)
これまで「関東大震災時に朝鮮人が虐殺された」ということに関しては嘘出鱈目が多かったので記述削除は良いことだ。
そして、今回、チョン・ソンギルが公開した写真を掲載した「聯合ニュース」の記事とは、次の記事だ。
▼朝鮮語(韓国語)▼
http://www.yonhapnews.co.kr/international/2013/02/01/0602000000AKR20130201199200005.HTML
>写真の上部には「大正十二年九月一日」と日付が書かれている。大正12年(1923年)9月1日は関東大震災が発生した日。
▼聯合ニュースに掲載されたその写真▼

「大正十二年九月一日」と日付を書き加えたチョンの写真
しかし、この写真は、【横網町公園(よこあみちょうこうえん)関東大震災直後。被服廠の敷地を埋める避難民の遺体】として以前から存在した写真であり、朝鮮人虐殺とは全く関係ない写真だ。

横網町公園(よこあみちょうこうえん)関東大震災直後。被服廠の敷地を埋める避難民の遺体
>写真には数十人の遺体が写っており、遺体の下衣は取られている。遺体の周囲には男性らが長い棒を手にして立っている。
▼聯合ニュースに掲載されたその写真▼

「大正十二年九月一日」と日付を書き加えたチョンの写真
しかし、この写真は、【新吉原公園の惨状】という明治44年の「吉原大火」の時の写真であり、大正12年の「関東大震災」とも関係のない、ましてや朝鮮人虐殺とは全く関係ない写真だ。

新吉原公園の惨状
東北芸術工科大学のアーカイブにある写真(「新吉原公園の惨状」の写真へ直接リンク)
キーワード:
新吉原公園の惨状・吉原大火・明治44年
>チョン氏は「犬が亡くなっても碑石を立てる日本人が自国の人だったら死人の遺体の下衣を脱がせただろうか。虐殺以上の蛮行」と憤った。棒を持っている男性らは大震災当時、朝鮮人を虐殺した自警団と推定されるという。
おい、チョン!
出鱈目もいい加減にしろ!
>3~4年前、日本で写真を入手したチョン氏は「写真を見て驚愕した。女性の下衣が脱がされているなど、残酷で恥辱的だったので公開したくなかった」と話す。だが、東京都教育委員会の発表をニュースで知り、歴史を正しく知らせるため公開を決めた。
当時の女性は、もともと下着を着けていた人は少ない。
何が「歴史を正しく知らせるため」だ!
恥知らずのチョン!
【まとめ動画】がもう出来ていた!
■動画
韓国・関東大震災吉原女郎の遺体を虐殺された朝鮮人写真発見とまた嘘
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=SNI6_vWWXr0
>チョン氏は「恥辱的な歴史だが、虐殺で犠牲になった約6000人に上る朝鮮人の魂はわれわれが守らなければならない。写真など資料を示し、日本人が過去に犯した蛮行を告発すべきだ」と強調した。
「虐殺で犠牲になった約6000人に上る朝鮮人」というのも真っ赤な嘘だ!
―――――
●関東大震災と朝鮮人
反日左翼や朝鮮人どもは、関東大震災のとき、約6千人の朝鮮人が殺されたというが、大嘘だ。
『写真 明治大正60年史』(1956年、毎日新聞社)では数百人となっている。
『朝鮮人虐殺関連官庁資料』によれば、朝鮮人被害者死亡231人、重軽傷43人。
『関東戒厳司令部詳報』の兵器使用調査票によれば、震災後一週間の「治安維持のため」の朝鮮人殺害254人、日本人殺害27人。
大震災による大混乱の最中、それまで散々悪事を働いていた不逞鮮人どもがデマも加わった民間の自警団による過剰防衛によって殺害される事件が起きると、不逞鮮人以外の朝鮮人まで殺害される事件が起きた。
そのような混乱が発生したとき、日本の警察や軍隊は命がけで朝鮮人を守った。
―――――

>関東大震災が起きた当時、日本政府は荒れた民衆の気持ちをなだめるため、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」などの流言飛語を流し、興奮した日本人により在日朝鮮人約2600~約6600人が虐殺された。
一般的には「関東大震災のときの朝鮮人の暴徒化や略奪、強姦、放火とのデマがあった」と言われているが、全てがデマだったわけではない。
確かにデマもあったが、デマではない事実もあった。
デマの代表例とされるのは、「井戸に毒を入れ~」というものであり、このデマを流布した首謀者は、時の警視庁官房主事で後に読売新聞社主となる正力松太郎と言われている。
警視庁官房に集まっていた各新聞の記者が、警視庁官房主事だった正力松太郎の話を鵜呑みして記事にしたことによってデマが広がったとのことだ。
そして、これら様々な話がデマだと最初に言い出したのは、後藤新平内務大臣兼帝都復興院総裁だ。
![後藤新平]()
後藤新平
工藤美代子著「関東大震災『朝鮮人虐殺』の真実」によると、後藤新平は、「正力君、朝鮮人の暴動があったことは事実だし、自分は知らないわけではない。だがな、このまま自警団に任せて力で押し潰せば、彼らとてそのままは引き下がらないだろう。必ずその報復がくる。報復の矢先が万が一にも御上に向けられるようなことがあたら、腹を切ったくらいでは済まされない。だからここは、自警団には気の毒だが、引いてもらう。ねぎらいはするつもりだがね。」と正力に語り、正力はあえて風評の打消し役に徹したという。
一般的には「関東大震災のときの朝鮮人の暴徒化や略奪、強姦、放火とのデマがあった」と言われているが、全てがデマだったわけではない。
確かにデマもあったが、デマではない事実もあった。
デマの代表例とされるのは、「井戸に毒を入れ~」というものであり、このデマを流布した首謀者は、時の警視庁官房主事で後に読売新聞社主となる正力松太郎と言われている。
警視庁官房に集まっていた各新聞の記者が、警視庁官房主事だった正力松太郎の話を鵜呑みして記事にしたことによってデマが広がったとのことだ。
そして、これら様々な話がデマだと最初に言い出したのは、後藤新平内務大臣兼帝都復興院総裁だ。

後藤新平
工藤美代子著「関東大震災『朝鮮人虐殺』の真実」によると、後藤新平は、「正力君、朝鮮人の暴動があったことは事実だし、自分は知らないわけではない。だがな、このまま自警団に任せて力で押し潰せば、彼らとてそのままは引き下がらないだろう。必ずその報復がくる。報復の矢先が万が一にも御上に向けられるようなことがあたら、腹を切ったくらいでは済まされない。だからここは、自警団には気の毒だが、引いてもらう。ねぎらいはするつもりだがね。」と正力に語り、正力はあえて風評の打消し役に徹したという。
(つづく)