【歴史】連行される韓国人…生々しい日帝強制占領期の写真を公開(画像あり)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130301-00000020-cnippou-kr
連行される韓国人…生々しい日帝強制占領期の写真
中央日報日本語版 3月2日(土)0時25分配信
タラワ島に連れて行かれる韓国人労働者(写真=国家記録院提供)
安全行政部国家記録院が三一節(独立運動記念日)を迎え、日帝強制占領期当時の写真を公開した。
写真の中には当時の日本人警察、タラワ島に連れて行かれる韓国人労働者の姿、学徒補給隊動員の姿などが見られる。また、当時の英国が三一運動に深い関心を持っていたことが分かる、英国情報局(SIS=Secret Intelligence Service)極東支部が1923年7月27日に本国外務省に送った文書の写真も公開された。
その内容は以下の通りだ。
「約2000人の会員で構成された韓国人秘密結社で、国内外に多くの支部を置いている。団体の首長は現在北京にいる金若山(キム・ヤクサン)。団体の目的は韓国と日本にいる日本人官吏を暗殺することだ。1月前、この団体の会員1人が青島にいるドイツ人が作った爆弾160個を所有していたが、そのうち100個が韓国に運ばれた。現在約50人の会員が東京で活動中だ」。
「1919年3月4日、ソウルのあるレストランに独立運動指導者が集まり、独立宣言を発表した後、警察に電話をかけ、自分たちを逮捕するよう要請した。すべての主要都市と町の独立闘士がデモを組織し、ウィルソンの宣言に後押しされ、独立が実現したと宣言した。多くの若い女子学生が積極的に運動に加担し、熱烈な反日運動を始めた。上海のフランス租界地に臨時政府を設立した。上海のフランス公使は韓国人が自由に独立活動をするよう協力した」
「(1919年10月23日)上海の韓国臨時政府は最近、本国と米国から相当な資金を受けた。この政府は現地韓国人に税金を課し、ほとんどの韓国人は自発的に税金を出した。上海で発行されていた2つの韓国新聞のうちの一つ“独立新聞”がフランス当局によって廃刊になったと推定される」。
今回公開される資料は英国国家記録院(TNA=The National Archives)が保管していた資料のほか、米国国家記録管理庁(NARA=National Archives and Records Administration)が保管していた日帝の抑圧・収奪現場が入った写真も含まれている。

学徒補給隊動員(写真=国家記録院提供)
>安全行政部国家記録院が三一節(独立運動記念日)を迎え、日帝強制占領期当時の写真を公開した。
>写真の中には当時の日本人警察、タラワ島に連れて行かれる韓国人労働者の姿、学徒補給隊動員の姿などが見られる。
「当時の日本人警察、タラワ島に連れて行かれる韓国人労働者の姿」というのは、次の写真のこと。

タラワ島に連れて行かれる韓国人労働者(写真=国家記録院提供)
しかし、この写真の後ろの方で、迷彩ヘルメットをかぶって迷彩服を着ている長身の兵士たちは、どう見ても日本兵には見えない。
これは米兵たちだろう。
後ろの迷彩ヘルメットと迷彩服の兵士たちの中でも、特に写真の左端に写っている長身で髭を生やした兵士は、左腕に【MP】の腕章まで付けている。
軍隊で【MP】といえば「military police」(憲兵=兵隊を取締る軍事警察)のことだ。
日本軍にも憲兵は居たが、その腕章は「憲兵」もしくは「憲兵・MP」併記が一般的だったようだ。

日本の憲兵


日本の憲兵の腕章
韓国の「国家記録院」提供の「タラワ島に連れて行かれる韓国人労働者」という写真の後ろの方に写っている迷彩ヘルメットと迷彩服を着て、長身で髭もじゃの兵士たちは、誰がどう見ても日本兵ではなく、米兵だ。
そして、手前に写っている東洋人たちは、軍服を着ていないので日本軍将兵ではないので、日本人労務者か朝鮮人労務者のどちらかだろう。
「タラワの戦い」では、2,600の日本軍将兵の他、1,000の日本人労働者と1,200の朝鮮人労働者が居た。
写真手前の担架を運んでいる人たちは、『タラワ島の戦い』で日本軍将兵が玉砕した後に、保護された労務者たちだと考えられる。
いずれにせよ、この写真を「タラワ島に連れて行かれる韓国人労働者」とするのは、明らかに歴史偽造だ。
韓国は、国家ぐるみで歴史を偽造し、国家ぐるみで日本の仏像を盗む。
念のため事実を説明しよう。
いわゆる「朝鮮人強制連行」は、一切なかった。
「徴用」は確かにあったが、「強制」ではなく、「国民の義務」であり、日本人(内地人)や台湾人には1939年から終戦までの6年間適用したのに対し、朝鮮人には1944年9月から1945年3月までのたった6ヶ月間しか適用しなかった。
炭鉱や工場などで重労働をさせられた人数は、朝鮮人よりも日本人の方が遥かに多かった。
命令で泣く泣く朝鮮に赴任して行った日本人の方が、命令で日本に赴任した朝鮮人よりも遥かに多かった。
そのような多くの日本人を「強制連行」とは言わずに、わずかな朝鮮人だけを「強制連行」と呼ぶことはあってはならない。
徴用令どころか日本人には徴兵令が多く出された。
一方、多くの朝鮮人が率先して日本軍に志願していた事実もある。
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旧 日 本 帝 国 陸 軍 特 別 志 願 兵 の 朝 鮮 人 志 願 状 況
年度 採用数 応募者 倍率
昭和一三年 406 2946 7.7
昭和一四年 613 12348 20.1
昭和一五年 3060 84443 27・6
昭和一六年 3208 144743 54.1
昭和一七年 4077 254273 62.4
(引用「日韓共鳴二千年史」名越二荒乃助編著P四三六、四四〇)
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ちなみに、朴槿恵(パク・クネ)韓国大統領の父親の朴正煕(パク・チョンヒ)元韓国大統領も、大日本帝国陸軍将校だった。

満州国軍見習士官時代の朴正煕
その朴正煕大統領は、次のとおり述べ、日本の朝鮮統治を高く評価していた。
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日本の朝鮮統治はそう悪かったとは思わない。
自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに自分を学校に行かせてくれた。
すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。
さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。
卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。
日本の教育は公平だったと思うし、日本のやった政治も私はむしろ評価している。
朴正煕(パク・チョンヒ)元韓国大統領
(1999年にはアメリカの雑誌『TIME』で「今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人」に韓国人から唯一選ばれた)

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