
6月3日、支那を訪問した野中広務は記者会見し、1972年の日支国交正常化交渉直後に、田中角栄首相(当時)から直接聞いた話として、「沖縄県・尖閣諸島をめぐる問題の『棚上げ』について日中双方の合意があった」と嘘を吐いた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130606/stt13060608300001-n1.htm
尖閣「生き証人」のうさん臭い告白
2013.6.6 08:28、産経新聞【阿比留瑠比の極言御免】
野中広務元官房長官と鳩山由紀夫元首相の姿が、ぴたりと重なってみえる。尖閣諸島(沖縄県石垣市)を「侵略しに来ている」(外務省幹部)中国へと、のこのこ出かけ、相手の意向に沿った発言をするところなど、そっくりである。
「自民も民主もOB議員によるOB(コース外にそれた打球)には本当に困りもの。OB杭(くい)の向こう側には、巧妙な外交的落とし穴が隠されているのだ」
民主党の長島昭久氏は4日、自身のツイッターにこう書き込んだ。尖閣諸島をめぐり「領有権問題棚上げの日中合意があった」と発言した野中氏と、「日中間の係争地」と述べた鳩山氏を指すのは明らかである。
論点はそれぞれ違うが、ともに日本政府の公式見解を否定し、自ら進んで中国のわなに飛び込んだ形だ。
思えば鳩山氏は今年1月、南京大虐殺記念館を訪ねて改めて謝罪した。これも平成10年5月、自民党幹部(幹事長代理)として初めて公式に同館を訪問した野中氏と軌を一にする。
「当時のことを知る生き証人として、明らかにしたいという思いがあった」
野中氏はこう語るが、どうもうさん臭い。野中氏によると、昭和47年9月の日中国交正常化から間もないころ、箱根で開かれた自民党田中派の研修会で田中角栄首相(当時)から直接聞いたことだという。
だが、現職の首相だった田中氏が、当時は一介の京都府議だった野中氏(衆院初当選は58年)らに重大な「国家機密」を漏らすだろうか。研修会で語られた話が、今回の証言まで一切表に出なかったというのもあまりに不自然ではないか。
筆者は、野中氏が自分の主義・主張を通すために論点を誇張したり、事実関係を無視したりする場面を何度も見聞きしてきた。
「君らと違い、戦争を知る世代として言うが…」
野中氏は現役時代、若手政治家らの外交・安全保障に関する自由な議論を、この一言で封じてきた。
2001年の米中枢同時テロに際し、海上自衛隊のイージス艦派遣が浮上した際には、講演や派閥(橋本派)会合などで強硬に反対論陣を張った。これについて閣僚経験者は振り返る。
「野中さんは1隻約1200億円のイージス艦を『5千億円する』と言ったり、『戦前の戦艦大和に当たる』と言ったり、めちゃくちゃだった。イージス艦は対空探知能力、自己防衛能力に優れている以外は他の艦船と変わらない」
また、その後に自衛隊が首相官邸や原発など重要施設を警備できるようにする自衛隊法改正が検討されたときには、「警察への侮辱だ」「国民に銃を向けるのか」などと非論理的な感情論で、これをつぶした。
自民党幹部は「野中さんにはあの世代特有の、社会党的、情緒的な平和主義がある」と指摘する。だが、米国の核の傘の下で安穏としていられた冷戦期ならばともかく、現在の厳しい国際情勢では通用しない。
第一、棚上げするも何も、中国は国交正常化から20年後の1992年に施行された領海法で、尖閣諸島を新たに自国領と明記した経緯がある。この時点ですでに「棚上げ論」は、歴史的にも政治的にも完全に破綻しているではないか。(政治部編集委員)
私が最初に述べておきたいことは、尖閣諸島の領有権の「棚上げ論」は存在しているが、「棚上げ合意」は存在しないということだ。
「棚上げ論」と「棚上げ合意」は異なり、整理しておかないと混乱するので注意したい。
>「当時のことを知る生き証人として、明らかにしたいという思いがあった」
元慰安婦(戦時売春婦)たちの「生き証人」という台詞によって、「生き証人」という言葉は完全に信頼を失った。
もともと裏付け無き証言には証拠力が乏しいのだが、特に朝鮮人慰安婦(戦時売春婦)どもは強制連行などをされたとする当時の自分らの年齢や場所や相手などについて証言内容が二転三転しているばかりか、酷い場合には日本軍が存在していない時期や場所において「日本軍によって性奴隷にされていたニダ!」と証言しているため、簡単に「生き証人」=「(自称)日本軍の元慰安婦」が大嘘吐きだとばれている。
ましてや、野中広務の場合には、自分が交渉の場に同席していたわけではなく、田中角栄首相(当時)から直接聞いたことだというから、信憑性は更に落ちる。
野中広務の主張が通用なら、私(coffee)が「野中広務は人殺しだ。私が生き証人だ。」と主張すれば、野中広務は人殺しとなる。
>だが、現職の首相だった田中氏が、当時は一介の京都府議だった野中氏(衆院初当選は58年)らに重大な「国家機密」を漏らすだろうか。研修会で語られた話が、今回の証言まで一切表に出なかったというのもあまりに不自然ではないか。
このように、当時の野中広務は、交渉の場に同席してなかったどころか、国会議員にすらなっておらず、京都府議として研修会に参加していたに過ぎなかった。
「尖閣諸島領有権の棚上げ合意」の「生き証人」が聞いて呆れる。
>筆者は、野中氏が自分の主義・主張を通すために論点を誇張したり、事実関係を無視したりする場面を何度も見聞きしてきた。
こんな話もある。
http://blog.livedoor.jp/taekweng_999-kan/archives/803436.html
かつて自民党総務会で、野中広務が、「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した麻生太郎を吊るし上げたことがある。
この当時はまだ奥野誠亮がいて、「野中くん、きみは若いから知らないかもしれないが、麻生君が言うことは100%正解だよ。朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。 そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」と言ったら、野中はそこで中座して出ていってしまった。
上記は、野中の無知ゆえの失態だったかもしれない。
しかし、他の事例からも野中広務に虚言癖があることは、確実だ。
この当時、府議会で野中の学歴詐称が取り沙汰された。一時期「関西大学法学部二部中退」・「立命館大学法学部二部中退」・「法政大学法学部通信教育中退」と偽っていた。結局有耶無耶に
ウィキペディア
>第一、棚上げするも何も、中国は国交正常化から20年後の1992年に施行された領海法で、尖閣諸島を新たに自国領と明記した経緯がある。この時点ですでに「棚上げ論」は、歴史的にも政治的にも完全に破綻しているではないか。
これも「『棚上げ合意』が無いこと」を裏付ける決定的状況証拠の一つだ。
支那には、「日本との尖閣諸島領有権の棚上げ合意」どころか、「領有権主張」もいい加減なものなのだ。
支那1971年以来、尖閣諸島領有を主張しつつ、一方では問題の「棚上げ論」も持ち出している。
支那が「棚上げ論」「棚上げ合意」の根拠としているのは、1972年の田中角栄と周恩来の会談であり、当時の日本側外交文書では、2人の間に次のようなやりとりがあったとされる。
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田中角栄「尖閣諸島についてどう思うか。私のところに、いろいろ言ってくる人がいる」
周恩来「尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」
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また、当時、会談に同席していた橋本恕外務省中国課長は2000年のインタビューで、次の会話があったとしている。
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周恩来「これを言い出したら、双方とも言うことがいっぱいあって、首脳会談はとてもじゃないが終わりませんよ。だから今回はこれは触れないでおきましょう」
田中角栄「それはそうだ、じゃ、これは別の機会に」
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更に、1978年にも、福田赳夫・小平会談で、小平が尖閣問題に言及し、次の世代への「棚上げ論」について述べた。
福田赳夫は、小平の次の世代への「棚上げ論」について、賛同も反論もしなかった。
支那は、上述のやりとりを根拠に、尖閣諸島の領有権の棚上げが「暗黙の了解」になったと主張している。
しかし、日本にとっては、1971年と1978年のいずれにおいても、尖閣諸島の領有権の「棚上げ論」には決して合意しておらず、支那がその場での完全決着を回避しただけだと見なしている。
したがって、外務省が2013年3月にまとめた資料では「1972年の日中国交正常化の際、また、1978年の日中平和友好条約の交渉の際に尖閣諸島の『棚上げ』に合意していない」との見解を示している。
にもかかわらず、野中広務は、支那が主張する「尖閣諸島の領有権の棚上げ合意(確認)」に「お墨付き」を与えようとした。
どうしようもない売国奴だ。
尖閣諸島で軍事紛争が起こった場合には、野中広務を外患誘致罪で死刑にするべきだ。
(つづく)