
ほっしゃん。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110626-00000004-jct-ent
「ほっしゃん。」ブログが炎上 「すべらない話」告白は「いじめ」
J-CASTニュース 6月26日(日)18時52分配信
大人気トーク番組「人志松本のすべらない話」でお笑い芸人の「ほっしゃん。」が、中学時代に同級生のメガネを鍋に入れて煮込んだ、と告白した。ところが、自身のブログのコメント欄に「イジメはヤメロ!」といった抗議が殺到し、ブログが炎上、コメント欄が閉鎖に追い込まれた。
学校行事で毎年行われるキャンプでカレーを作る際、同級生のメガネを鍋に入れて煮込んだ。3年間続けたため、メガネのレンズが黄色くなり、まるで「グラサン(サングラス)」のようになった、というもの。収録会場は大爆笑に包まれた。
■同級生のメガネをカレー鍋で3年煮込んだ
「ほっしゃん。」が出演したのは2011年6月25日放送のフジテレビ系「人志松本のすべらない話 第20回記念大会」。お笑い界の人気者十数人が登場し「全て実話」の面白い話しを披露、チャンピオンを決めるという企画だった。「ほっしゃん。」は自分の番が来ると、中学時代のキャンプの話を披露した。
キャンプでは3年間同級生と一緒にカレーを作って食べたが、1年の時にたまたま同じ班になった吹奏楽部部員の同級生がいて、彼のメガネをぐつぐつのカレー鍋の中に入れて長時間煮込んだ。すると、レンズにカレーが染みたのか、薄い黄色になった。そのメガネをカレーと一緒にライスの上にかけて同級生に渡した。
体は大きいけれど真面目で大人しい生徒だった。黙って水道水でメガネを洗って、ムスッとした表情でカレーを食べる姿を見て、「めっちゃ面白かった」。
2年の時は別のクラスだったが、キャンプの時にまたメガネをカレーで煮込んだ。3年連続で煮込んだため、「グラサン度」が増したはずなのだが、段階的に濃くなったため生徒や先生は気付かなかった。
■コメント欄放送日の深夜に閉鎖
そして3年の時に、新任の先生が吹奏楽部に赴任し、その時に事実が明るみに出てしまった。先生はメガネの生徒に「お前、形から入るな!」と注意した。「ほっしゃん。」は、
「先生はオシャレでメガネを使っていると勘違いした。結局、3年間グラサンくらいの色だったことがわかった」
と話すと、会場は大爆笑に包まれた。
しかし、番組終了後から「ほっしゃん。」のブログのコメント欄に抗議のカキコミや、意味不明なAA(アスキーアート)や、解読不明な文章が大量に投稿され「炎上」。放送日の深夜にコメント欄が閉鎖に追い込まれてしまった。コメント欄には
「すべらない話、楽しみにしてたのに。単なるいじめじゃないんですか?」
「自分の子供が3年間こんなことされたら、どんな気持ちになるかわかりますか?」
などと書き込まれていた。「ほっしゃん。」は今のところ、ブログの更新はなく、「ツイッター」でも今回の炎上の件については触れていない。
>しかし、番組終了後から「ほっしゃん。」のブログのコメント欄に抗議のカキコミや、意味不明なAA(アスキーアート)や、解読不明な文章が大量に投稿され「炎上」。放送日の深夜にコメント欄が閉鎖に追い込まれてしまった。コメント欄には
>「すべらない話、楽しみにしてたのに。単なるいじめじゃないんですか?」
>「自分の子供が3年間こんなことされたら、どんな気持ちになるかわかりますか?」
>などと書き込まれていた。
確かに「ほっしゃん。」のブログを見ると、ブログ自体は閉鎖していないものの、コメント欄だけを閉鎖している。

ブログ
ほっしゃん。の「酒と涙とリクガメとウサギ」
http://hoshan.laff.jp/blog/
ただ、コメント欄が閉鎖される前のブログの魚拓がとられていた。
そのコメント欄付きブログの魚拓を見ると、番組放送があった6月25日(土)21:39頃から批判コメントが立て続けに書き込まれていたことが良く分かる。
●コメント欄が閉鎖される前のブログの魚拓
http://megalodon.jp/2011-0625-2233-55/hoshan.laff.jp/blog/2011/05/post-939c.html
>「ほっしゃん。」は今のところ、ブログの更新はなく、「ツイッター」でも今回の炎上の件については触れていない。
「ほっしゃん。」はブログの更新はしていないが、「ツイッター」では今回の炎上の件について6月27日の夜になって次のように反論している。
http://twitter.com/#!/hosshyan/status/85303146347376640
@hosshyanほっしゃん。
イジメ?俺とヨシダの関係も知らんヤツらに色々言われたないし。俺らの時代は体罰もあったし、行き過ぎたイタズラもあったけど、やったりやられたり、ちゃんと流儀とルールと仁義と愛があってん。全部「表」や。裏っかわでゴソゴソしてる想像力のない奴にはそれこそ想像できへんやろけど。
Teeweeから
番組での「ほっしゃん。」の話は約4分間だった。
「ほっしゃん。」と眼鏡をカレーで煮込まれた吉田の関係なんて、一般視聴者が知る由もない。
ただ、「ほっしゃん。」は番組で、「皆(集団)で、真面目で大人しい吉田の眼鏡を取って…」と話していた。
番組では、「集団で、大人しい一人の眼鏡を奪い取ってカレーで煮込んだ」と言っていたくせに、非難が殺到したら今になって「俺とヨシダの関係も知らんヤツらに色々言われたないし。」という反論は誤魔化していると言わざるを得ない。
黄ばんだ眼鏡を3年間使い続けたことからも、吉田は貧乏だった可能性が高い。
また、「ほっしゃん。」は「俺らの時代は体罰もあったし、…」と述べているが、この問題にどうして体罰教育が出てくるのか理解に苦しむ。
私は体罰教育については肯定的に考えているが、今回「ほっしゃん。」がテレビで話した「集団で、大人しい一人の眼鏡を奪い取って、年に一度ずつ3回カレーで煮込んだ」話と体罰教育とは、関係ない。
さらに、「ほっしゃん。」は「裏っかわでゴソゴソしてる想像力のない奴」と批判的な視聴者を罵倒しているが、テレビで不特定多数に向かって「集団で、大人しい一人の眼鏡を奪い取って、年に一度ずつ3回カレーで煮込んだ」話を笑いながら話す奴の方が想像力はないはずだ。
「ほっしゃん。」はイジメではないと言いたいようだが、世論調査によると約87%からイジメだと思われている。
【ネットリサーチ】
「すべらない話」ほっしゃん。の告白はいじめだと思う?
http://research.news.livedoor.com/r/62702
■動画
人志松本のすべらない話 第20回記念大会 - 11.06.25
http://v.youku.com/v_show/id_XMjc5NDY2MTI0.html
ほっしゃんの話は29:45~33:40
2年前、BPOは、バラエティー番組に関して寄せられた苦情を「イジメや差別」「内輪話や仲間内でのバカ騒ぎ」など5項目に分類し、「多くの視聴者が不快に感じている」と指摘した意見書を民放連会長に手渡したことがある。
バラエティーに関し意見書=BPO検証委
2009年11月17日18時38分 時事通信
放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会は17日、視聴者からの苦情や批判が相次ぐ最近のバラエティー番組に関する意見書をまとめ、民放連の広瀬道貞会長に手渡した。
意見書では、過去25年間に総務省から警告や厳重注意などを受けた30件余りのうち7割近くが広い意味でのバラエティー番組だったことを指摘。いじめや差別とも受け取れるなどとして、視聴者から「やめてもらいたい」という苦情が寄せられた26例を、民放の局や番組の名前を伏せた形で公表した。
その上で、放送基準とは別にバラエティーについての実効的な指針を作ることや、制作者と視聴者が語り合うシンポジウム開催などを提案した。
しかし、民放テレビ局は、全く反省も改善もせず、今日に至っても「虐めや差別」「内輪話や仲間内でのバカ騒ぎ」を垂れ流し続けている。
今回問題となった「土曜プレミアム・人志松本のすべらない話第20回記念大会」における「ほっしゃん。」の話は、まさに「虐めや差別」「内輪話や仲間内でのバカ騒ぎ」の典型だった。
ちなみに、私は、松本人志のどこが面白いのか全く理解できない。

バラエティー番組については、精神科医で教育評論家の和田秀樹も、次のように厳しく批判している。

和田秀樹
マスメディアの責任はかなり大きい
テレビは視聴率至上主義だから、世間のあきらめムードを敏感に感じ取って、視聴率のとれないど根性ものを放映しないのかもしれない。
しかし、世間がメディアを動かす力よりも、メディアが世間を動かす力のほうが圧倒的に強いことは確かだし、その意味では、テレビをはじめとするメディアが国民の意識をコントロールしているといってもいいのではないだろうか。
それどころか、マスメディアは日本人の価値観を変えてしまうぐらいの力を持っているといっても過言ではないと私は考えているのだ。
最近はバラエティ番組にしても努力というものが消えてしまった感がある。
(中略)
昔はお笑いの芸能人たちは作り込んだ芸を見せてきた。
ところが今はどうだろうか。芸能人たちはバラエティ番組で日常会話をしているだけである。人の発言の揚げ足取りをし、茶化してあざ笑う。明らかに作り込んだ芸とは言えないだろう。
特に若い人たちはテレビに出る芸能人に憧れをもつことが多い。努力の見えない芸能人たちの日常会話を自分たちの日常に取り入れて共有し、自分たちも芸能人と似たような世界にいるのだ、という幻想を抱いているように思われる。
(中略)
だから、努力しないでいい加減な人生を送っているほうがかっこいいと思う若い人が増えているのだ。
テレビによる無意識・無自覚の洗脳教育とさえ言ってよいであろう。
2006年、私はフィンランドに行った。この国はOECDの国際学習到達度調査(PISA)でここしばらく常に一位に近い成績にランキングしていることからもわかるように、子供たちの学力が世界トップクラスである。
(中略)
しかし、私が何よりも驚いたのは、フィンランドのテレビにはバラエティ番組がなかったことである。
1番人気は討論番組で、2番目がニュース番組、3番目はドキュメンタリー番組だ。親が夕方の六時ごろに帰宅して、そういうテレビ番組を見ながら子供たちと語り合うのである。
日本では知的レベルが高いはずのアナウンサーと称する人たちがバラエティ番組に出てバカぶりを発揮し、漢字が読めないのをまわりがあざ笑ったりしている。本人は自ら頭の悪さを意図的に見せて笑いをとったりしているのかもしれない。
『意欲格差』和田秀樹著
(つづく)