
日本の大仙稜古墳と韓国最大の古墳との比較
http://www.koreatimes.com/article/670021
【米国】 「古代日本に文化伝えた」~カリフォルニア州の小・中・高教科書、「韓国史」大幅補強
2011年6月27日、コリアタイムズ(韓国語)
教科書‘韓国歴史’大幅補強
韓国の歴史が大幅に拡大され反映されたカリフォルニアの小・中・高校教科書が来る2014年から導入されると予想される。
これは去る1998年以後一度も改訂されなかった社会および歴史教科書の改訂を推進する法案(SB300)が先週、カリフォルニア州下院教育委員会を通過したことに伴う予想だ。
今月22日、州下院教育委員会で賛成7、反対3で通過したこの法案は韓国の古代史および現代史の内容が大幅に反映されるなど新しい教科書製作指針を採択する内容を骨子としている。
これに伴い、古代日本に関する韓国の文化伝授、韓国のまぶしい経済発展史の部分などが初めて大きく反映された教科書指針草案が実際の教科書に採択される可能性が大きくなった。
去る2009年から用意されてきた韓国史反映教科書改訂指針には古代史の部分で「韓国の陶工が日本に渡って日本文化の形成に大きく寄与した」「東アジア思想と文物を韓国が日本に伝授、影響を及ぼした」などの内容が含まれている。
また、韓国現代史の部分では韓国が1980~90年代、まぶしい経済成長を成し遂げた代表的な国家として紹介され、先端情報技術(IT)の象徴であるアップルのアイポッドが韓国と台湾産の部品の組み立て過程を経て生産されるなど世界先端情報技術(IT)産業国家に急成長した内容などが含まれている。
また、韓国が民主主義を政治的に発展させた代表国家として紹介される内容も一緒に含まれる。
現在のカリフォルニア社会・歴史教科書には韓国関連の部分が6.25朝鮮戦争に関する簡略な記述が全てで韓人1.5世と2世はもちろん主流社会の学生たちにも正しく記述された韓国の歴史と姿を見せられないという指摘を受け入れた。
カリフォルニア州教育部の社会・歴史教科書製作指針に韓国史を拡大反映させるための請願運動などを繰り広げて韓国史反映草案作成に主導的役割を果たした「教育者のためのコリアン・アカデミー」のメリー・コーナー会長は「去る2009年から行ってきた韓国史反映拡大の努力が、やっと実を結んだ」としながら「これから州下院全体会議と州上院を通過しなければならないだけに、このために韓人たちの積極的な関心と参加が必要だ」と話した。
<ヤン・スンジン記者>
>今月22日、州下院教育委員会で賛成7、反対3で通過したこの法案は韓国の古代史および現代史の内容が大幅に反映されるなど新しい教科書製作指針を採択する内容を骨子としている。
>これに伴い、古代日本に関する韓国の文化伝授、韓国のまぶしい経済発展史の部分などが初めて大きく反映された教科書指針草案が実際の教科書に採択される可能性が大きくなった。
>去る2009年から用意されてきた韓国史反映教科書改訂指針には古代史の部分で「韓国の陶工が日本に渡って日本文化の形成に大きく寄与した」「東アジア思想と文物を韓国が日本に伝授、影響を及ぼした」などの内容が含まれている。
古代において、韓国が日本に、文化、東アジア思想、文物などを伝授、影響を及ぼしたという記述は虚偽だ。
米カリフォルニア州は、嘘出鱈目を記載した教科書を採択してはいけない。
人類史上、朝鮮半島が日本列島よりも先進地域だったことは一度たりともない。
古来より先進的な文化や技術は、日本から朝鮮半島に伝わった。
●勾玉
勾玉とは縄文時代極初期より伝わる日本固有の装身具で、朝鮮半島へも伝播した。
韓国で多量の縄文系遺物が出土する「東三洞貝塚」からは縄文前期のものと同様のケツ状耳飾が出土している。
現在朝鮮半島で見つかっている勾玉の大部分が日本からの交易品であり、新羅の王冠にも勾玉が使用されているのも注目したい。
勾玉の材料となる翡翠自体東アジアでは日本の糸魚川でしか産出されず、その美しい翡翠で作った勾玉は支那や朝鮮半島の権力者達を魅了してきた。
縄文時代中期の長者ヶ原遺跡からは、ヒスイの大珠や勾玉、加工道具、工房跡などが続々と出土され、6000年前の世界最古の勾玉文化が実証された。

勾玉
●土器
土器は、日本最古の土器(1万6500年前)がほぼ世界最古の土器と考えられている。

大平山元1遺跡(青森県外ヶ浜町)の日本最古(世界最古の可能性も)の土器
●鉄器
鉄器も、日本から朝鮮半島に伝わった。
日本最古の鉄器は、福岡県糸島郡二丈町の石崎・曲り田遺跡の住居跡から出土した紀元前3~4世紀の板状鉄斧(鍛造品)の頭部とされている。
後漢書・東夷伝によると、辰韓について『倭、馬韓並從市之。凡諸貿易、皆以鐵爲貨』という記述が見られる。
倭人は、朝鮮半島南部が三韓に分立していた時代から、朝鮮半島に行っており、鉄を貨幣のように用いて交易していた。
韓国で2世紀頃の製鉄遺跡が発見されたが、この地域の墓からは弥生時代の倭国製の土器のみが発掘された。

福岡県糸島郡二丈町の石崎曲り田遺跡から出土した板状鉄斧
●水田稲作技術
水田稲作技術は、朝鮮半島から日本列島に伝播したのではなく、日本列島から朝鮮半島に伝播したことが確定している。
水田稲作技術が日本から朝鮮半島に伝播したとする理由は主に2つ。1つは遺伝子工学の研究の成果で、もう1つは支那政府機関が20年以上かけて行った品種の調査だ。この2つが決定打になり朝鮮半島経由で日本に米が伝来した可能性がなくなった。
まず、近年、炭素14年代測定法によって、日本の稲作の方が朝鮮半島よりかなり古いことが判った。日本の稲作開始は陸稲栽培で6700年程度前まで、水稲栽培で3200年程度前まで遡ることが判明した。
これに対し朝鮮半島では水稲栽培は1500年程度前までしか遡れない。
次に、米には品種特性を決定づける遺伝子が7種類ある。
稲作の発祥地とされる支那では、NO.1からNO.7まですべて揃っている。
日本の場合、古代から現代に至るまで日本で発見された遺伝子は温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカの特有遺伝子2種類しかなく、それぞれNO.1とNO.2としよう。
朝鮮半島の米はNO.2からNO.7までの6種類が揃っているが、NO.1だけは存在しない。これは気温が低いと存在できない遺伝子のため支那北部より北では存在できないためだ。
この辺の事情は「栽培稲に関する種生態学的研究」(松尾孝嶺著)に詳述されている。
往来が盛んになればなるほど、多くの種類の遺伝子の米が入る確率が高まるが、日本には2種類しかなく、これが稲作開始の初期から広く分布したため、米の伝来はごく限られた地域から限られた回数しか伝来していないと考えられる。
日本の米の起源と推定される支那南部の地域は熱帯ジャポニカも温帯ジャポニカも同時に存在しているので、両者を1品種ずつ持ってきたと考えられる。
往来回数が多くなると別遺伝子品種が紛れ込む可能性が高くなるので、古代人が遺伝子選別技術を持っていない限りはこの地域だけから流入したと考えるしかない。
一方、朝鮮半島の米はNO.2からNO.7までの6種類が揃っているが、NO.2の遺伝子が70%を占めるので、米が朝鮮半島に導入された初期段階でNO.2の遺伝子が多く伝わっていなければならない。
日本から2種類の米が朝鮮半島に伝播したものの、NO.1の温帯ジャポニカ種は朝鮮半島に根付かずNO.2の遺伝子のみが広まり、そこに支那大陸から米が入ってきて、NO.2の遺伝子を持つ米と交雑したと考えると朝鮮半島の米の遺伝子の説明が付く。
支那大陸にはすべての遺伝子が満遍なくあるので、特定の種類の遺伝子だけを多く朝鮮半島に伝えるのは無理だ。
また、朝鮮半島の水稲栽培は、九州北部と栽培法が酷似していることや、遺伝子学的に日本の古代米に支那大陸から入った米が交雑した米が多いことなどから、水稲は日本から朝鮮半島へ、陸稲は満州経由で朝鮮半島へ伝わったことが判明した。支那政府の研究機関でも調査が進み間違いないという結論だ。

支那大陸から日本へ稲作が直接伝来した裏付けとなる「RM1-b 遺伝子の分布と伝播」。日本の各所に点在するRM1-b遺伝子。
支那大陸では多くの品種に、RM1-b遺伝子を持つ稲が見付かったが、朝鮮半島ではRM1-b遺伝子を持つ稲は見付からなかった。
●詳細な関連記事
日本から朝鮮半島への米の伝播について
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12585608.html
以上が紀元前から日本列島にあった文物や技術などが、その後朝鮮半島へ伝播した主な事例だ。
紀元後になっても、先進的な文化や文物は、常に日本列島から朝鮮半島へと伝播した。
というか、古代においては7世紀まで、朝鮮半島は日本の支配地だったのだから当然だ。
『百済本紀』
397 倭国と国交を結び王子の腆支を人質とする
399 高句麗攻撃のための徴発により人々が新羅に逃げる
402 倭国に使者を送り大珠を求む(大珠の意不明)
403 倭国の使者を特に手厚くねぎらう
405 腆支王即位テンシ(直支、映、枕流王の子)人質となっていたとき枕流王が死去、弟を殺した末弟が王となったために乞うて倭国の護衛により海中の島にて待機してのち王となる
406 晋に朝貢
409 倭国の使者が夜明珠を送る 厚く礼遇する(夜明珠の意不明)
政治的に大和朝廷(倭国)の勢力圏におかれていた朝鮮半島は、文化的にも日本の強い影響を受けた。
新羅・百済はみな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びに之を敬仰し、恒に使ひを通はして往来せしむ。
(新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。)
『隋書 列傳第四十六 東夷 倭國』
(つづく)