(つづき)
1.支那帰還兵の懺悔話の信憑性
「南京で酷い事をしたと懺悔。日本兵の悪事は確か」
これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認
ニセ証言者たち
撫順戦犯管理所の洗脳
日本軍の食料調達
のつづき
話を元日本兵に戻そう。
昭和32年(1957年)、被洗脳者を多く含む反日元日本兵たちが「中国帰還者連絡会」(中帰連)を結成した。
中帰連には、撫順・太原からのいわゆる「帰国戦犯」の約半数が加入した。
「中帰連」は、先日、河村たかし名古屋市長に抗議した「日中友好協会」にも団体加入し、親中国、反日、反台湾運動を展開した。
中帰連の連中は、1970年代の南京大虐殺ブームでは「南京大虐殺」関連の作文を多数発表し、1980年代の731部隊ブームでは「731部隊」関連の作文を多数発表した。
![撫順戦犯管理所の中庭に中帰連が1988年に建てた「謝罪碑」]()
撫順戦犯管理所の中庭に中帰連が1988年に建てた「謝罪碑」
![河村たかし市長あての抗議文を名古屋市の担当者(右)に手渡す日中友好協会愛知県連合会の石川賢作会長=24日午後、名古屋市役所]()
河村たかし市長あての抗議文を名古屋市の担当者(右)に手渡す日中友好協会(愛知県連合会の石川賢作会長)
これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。
![南京大虐殺 記憶の暗殺 ――東史郎はなぜ裁判に負けたか]()
『南京大虐殺 記憶の暗殺――東史郎はなぜ裁判に負けたか』
――――――――――
東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。支那じゃ未だに真実扱い
中山重夫…戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが場所時間がコロコロ変わったのでうそがばれた
永富博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明
舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×
曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、秦郁彦も騙された
田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状
太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった
富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた
上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し
――――――――――
●関連サイト
偽造資料、ニセ証言者たち
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page049.html
昭和32年(1957年)、被洗脳者を多く含む反日元日本兵たちが「中国帰還者連絡会」(中帰連)を結成した。
中帰連には、撫順・太原からのいわゆる「帰国戦犯」の約半数が加入した。
「中帰連」は、先日、河村たかし名古屋市長に抗議した「日中友好協会」にも団体加入し、親中国、反日、反台湾運動を展開した。
中帰連の連中は、1970年代の南京大虐殺ブームでは「南京大虐殺」関連の作文を多数発表し、1980年代の731部隊ブームでは「731部隊」関連の作文を多数発表した。

撫順戦犯管理所の中庭に中帰連が1988年に建てた「謝罪碑」

河村たかし市長あての抗議文を名古屋市の担当者(右)に手渡す日中友好協会(愛知県連合会の石川賢作会長)
これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。

『南京大虐殺 記憶の暗殺――東史郎はなぜ裁判に負けたか』
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東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。支那じゃ未だに真実扱い
中山重夫…戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが場所時間がコロコロ変わったのでうそがばれた
永富博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明
舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×
曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、秦郁彦も騙された
田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状
太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった
富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた
上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し
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●関連サイト
偽造資料、ニセ証言者たち
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page049.html
話を和久希世さんのコメントに戻す。
その後、 零崎涼介さんら多くの方が、和久希世さんのコメントに対して【「酷い事」「相当の悪事」とは、具体的にどういうことですか?】と質問した。
すると、久希世さんは、次の通り回答した。
――――――――――
零崎涼介様
ご指名を受けていたようですので、私の聞いたところをお伝えします。
南京事件に関わった部隊は、その直前中国大陸に乗り込むときにも戦闘をして、一休みもしないで南京に攻め上ったのだそうです。
その時兵士の不満を宥める為上官が、
南京を落としたら、好きにさせてやるからと言っていたので、
南京を陥落させた後、兵士たちは溜まりに溜まった鬱憤を晴らすべく、現地の人々に酷いことをしたのだそうです。
ご存知でしょうが当時の日本軍は、食料は現地調達せよということで、
食料を持たずに中国大陸に攻めて行っていました。
現地調達ということは、
他国の人に武器をつきつけて、食料を出させると言うことですから、
言い換えれば、強盗をせよと命じているいうことです。
それの上好きにさせてもらうと言うことは、強盗プラス@という事で、大体想像がつきませんか。
南京で大勢を殺すことになったのには、この食料現地調達という制度のせいがあったそうです。
その時の南京の中国兵は、日本軍と戦う意思のない人が大多数で、大勢の人が日本軍に投降して来たそうです。
それで日本軍の幹部はあわててしまった。
日本軍には食料の用意が全然ないので、それら全員を捕虜として生かしておくことは不可能だったからです。
中国の兵士を放置する気にもなれず、軍幹部は捕虜は保護しなければならないという国際法を破って、捕虜を皆殺しにさせてしまったのだとか・・・・
普通の状態にあるときには、そんな酷いことは絶対に出来ないような人々が、鬼のような人間になってしまう。
それが戦争の恐ろしさであると、肝に銘ずるべきだと私は思います。
戦争と言うものの恐ろしさと言うべきでしょうか。
2012/03/01(木) 12:15:20 | URL | 和久希世 #dN1wHbUA [ 編集 ]
――――――――――
この和久希世さんのコメントで、やはり和久希世さんのご主人に懺悔話をした南京帰還兵とやらが嘘吐き野郎だったことが裏付けられた。
零崎涼介さんが良く勉強されていて、既にコメント欄で適切に反論してくれたが、以下に簡単に説明しておく。
まず、南京戦前の日本軍の食糧は日本本土からの補給を原則としていた。
次に、それでも上海戦の後、輸送などの問題で食糧補給が追いつかずに現地調達することも増えたが、日本軍の食糧は十分に足りていた。
●食糧などの補給と調達
━━━━━━━━━━
【調達】
12月1日 第16師団の後方参謀・木佐木久少佐
奔牛鎮で米八百表、小麦1千表、砂糖百袋、小蒸気(発動機船)二杯(隻)を徴発せり。
12月4日 上海派遣軍参謀長・飯沼守少将の日記
「無錫に大工場多く且倉庫櫛比す」
「本日、白米、軍の約一か月分、塩大麦燕麦多量徴発せり」
このような大量の食糧が、普通の民家に隠されているわけがないので、公的機関か商業関係の倉庫にあったもの。
「南京攻撃を前に無錫で大量に食糧を徴発したことで、主食に関しては輸送の問題を除いてほぼ解決した」(榊原証言)
ただ、南京米はポロポロだというので、不評を買った。
尚、徴発や労役に関しては、原則として現金を支払った。
貨幣は最初、日本銀行券と法幣を使ったが、当時、日本の国際収支がよくなく、外貨準備も裕福でなかったので、内地の円に影響が現れ、金融面、為替管理に不都合を生じた。
その為、急遽、10月の閣議で軍票の発行が決まり、11月の第十軍杭州湾上陸から、軍票支払いに切り替わった。
【輸送の問題】
食糧自体に心配はなかったが、輸送が隘路だった。日本軍は上海付近だけで行動する予定だった為、南京まで物資を輸送する自動車が足りなかった。鉄道は破壊されて使えない。
━━━━━━━━━━
また、その頃の松井石根日記をまとめると、
11月18日、糧食は太倉その他の所在地に相当多量現存、心配する必要ない。
11月22日、前進に追いつけないので飛行機より投下
11月27日、ここ10日以内には補給がまともにできるようになるだろう。
となる。
11月19日が蘇州陥落で22日が蘇州出発だから、松井大将の日記はこの時のことを補足している。
つまり、物資はあったけど輸送に限界があったため一時途切れたりはしたが、補給はちゃんと行なっていたのだ。
そして、支那軍が食糧を調達する際には農民から強奪するのが当然だった反面、日本軍はちゃんとカネを払って調達していた。
■日本軍は金を払った
「1月25日(曇)きょうは、発電所に2名の使役をだす。分隊は正門から約2キロの部落へ、野菜と食糧の徴発に行った。しかし、軍票がないので、日本円で払うと、土民は喜び、鶏卵まで加えてくれた」(46頁)
「2月6日(晴後曇、時々小雪) 分隊の何名かを残して徴発に行く。土民も段々好意を持つようになった。軍票がないので、幾らかの日本銭を与えると『謝謝』と笑顔で送ってくれる。」(49頁)
「4月5日(晴) きょうは勤務はない。昨日のこと(注:松江付近における敵の急襲)もあるので、いつ非常出勤があるかも知れない。野菜不足のため、城外に徴発に行く。農民は、我々がいつも金を与える関係で喜んで野菜を売ってくれる。またわれわれのためにすこし備蓄しておいてくれるらしい。」(72頁)
長谷川秋広上等兵の私家版『戦火の揚子江を行く』より引用
■支那軍(不逞支那人)は略奪した
私家版の片山兵二著『郷土部隊と共に歩んだ「わが青春の中国大陸従軍譚」』(昭和52年)
以下は佐藤己三男准尉から聞いた南京陥落から四ヶ月後の湯山の模様。
「どうも油断がならなくてね。昨夜も付近烽火を合図に数十名の敗残兵が現れ、良民から金品を強奪して行きました。そのため毎日討伐をやり、警戒を厳重にしていますよ」(347頁)
大坪鉄三郎准尉と長倉久徳一等兵が語る、湯山の南の句容の状況。
「この近くの部落へ十五名ばかりの強盗がやってきて、主人(農夫)を竈の上に吊り上げ、火あぶりにしたが、それが丁度、憲兵隊が使っているコックの実家なので、すぐに報告があり、今朝二手に分かれて討伐をやったのです。・・・奴らの残忍性にはあきれます。
農民を火あぶりにした上、金を奪い取り、憲兵隊へ密告せば命がないぞと脅していくので、農民はブルブル震えて仕事が手につかないのです、そのためわれわれが行くと喜び親しんでイスをすすめ、お茶を出して歓待してくれますよ」(349頁~350頁)
『1937南京攻略戦の真実』東中野修道編著(小学館文庫)より引用
その他、支那軍は支那農民から食糧を強奪したが、日本軍は支那農民から食糧を盗まず、逆に日本軍が支那農民に食糧を与えたこともあった資料を提示する。
一般住民に対して、徴発と略奪があまりしばしば行われたので、農民は日本軍(1)よりも彼等自身の軍隊をさらに一層憎んだ。穀物を略奪されまいとして抵抗する農民を飢えた中国兵が殺したり、日本軍の進撃を免れるために逃亡兵が村民を殺し、その衣類を自分が着こんで変装するということも起こった。
(1)日本軍は食べ物が良かったので、中国兵ほどには盗みをする必要がなかった。
(略)
河南省では、当局の無関心、無能力、穀物のトン積、さらには投機のために、1942年から43年にかけて起こった飢饉が大いに悪化したので、日本人が1944年にこの省に再び侵入した時、彼らにとっては事はことのほかに容易だった。
彼らが前進してくるにつれて、農民は国民党の軍隊を襲撃し、武装解除し、時にはこれにリンチを加えたのである。
『中国革命の起源1915-1945』ルシアン・ビアンコ著
農民の飢餓救った日本軍 邦訳本出版 中国で映画化
(06/4/9産経新聞より一部抜粋)
1942年、大飢饉で河南省の農民を救ったのは、日本軍だった。…(略)…劉震雲さん著、劉燕子さん翻訳の「温故一九四二」だ。同小説は日中戦争の最中の1942-43年、河南省を襲った干魃による被災民3千万人、餓死者3百万人という大飢饉の状況を農民、蒋介石ら指導者、米国人記者、日本軍の立場から多面的に描き出した。飢饉の原因は天災だけでなく、中国軍の容赦ない軍糧のとりたてのせいでもあった。その中で、日本軍は餓死寸前の農民に軍糧を放出した。
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