(つづき)
1.「売春婦」で告訴!
韓国人元売春婦どもが「維新政党・新風」鈴木信行代表を名誉棄損で
入国禁止の申請も
李容洙「日本に慰安婦にされた私がなぜ売春婦なのか。許せない」
韓国人が出稼ぎデリヘル嬢に応募殺到
のつづき
>告訴人の一人の李容洙さん(83)は4日、日本大使館前で開かれた集会に参加し、「日本に慰安婦にされた私がなぜ売春婦なのか。許せない」と怒りをあらわにした。
だから、「慰安婦」というのは、軍隊の将兵相手に商売をする「売春婦」なのだから、許すも許さないもない。
それと、この李容洙という奴は、嘘吐きとして有名な朝鮮人婆だ。
李容洙の証言には一貫性がなく、話す度に連行された時の年齢や状況などが食い違っている。
また、売春婦をしていた期間についても、1945年に戦争が終わったにもかかわらず、「1944年から1947年までの3年間、日本軍の慰安婦を強制された」と嘘丸出しの証言をしていた。

■李容洙
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1992/08/23, 朝日新聞
1992年に採録された韓国挺身隊問題協議会の証言記録
●1944年、満16歳の秋、友人に誘われて、日本人の男の人のところへ行き、即座について行った(他の4人の韓国人女性とともに台湾へ連れて行かれた)。
1995/11/27, 中日新聞
1996/07/17, 朝日新聞
●14歳の時、中国の大連から台湾に軍隊と一緒に軍用船で強制連行され、17歳まで兵士の相手をさせられた。
1996/08/10, 中国新聞
●15歳の時に川で水遊びしていてら致され、途中さまざまなごう問を受けながら中国・大連を経て軍用船で台湾へ。
2002年6月26日(水)「しんぶん赤旗」
●14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられた。
2004年12月4日全国同時証言集会・京都
2004/12/05, 朝日新聞
●1944年、16歳の時に韓国・大邱から「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。…
日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。
↑1945年に戦争が終わったのだから、1947年まで日本軍「慰安婦」を強制されたなんて絶対に有り得ない。
●2007年の証言
「1944年15歳の時に連行され1945年に解放とされた」と修正申告。
2004年の証言と2007年の証言が違うのではという指摘に対し、李自身は「私はどちらもそういう風に喋っていない、私が喋ったことが毎回違うと言う人がいるそうだが、集会で話すための持ち時間も違うし、なんにせよ私の体験全部は話せない。その時の選択で喋り方が変わった事をどうして嘘をついたというのか?」と意味不明な反論。
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1993年
「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」1993.10 明石書店

http://www010.upp.so-net.ne.jp/japancia/iyonsu/punsun2.gif
(P.133)
ある日、私がその子の家に遊びに行くと、おばさんが「お前は履物ひとつ満足に履けなくてなんというざまだ。いいかい、お前もうちのプンスンと一緒にあのなんとかというところに行けばなんでもあるらしいから。ご飯もおなか一杯食べられるし、お前の家族の面倒もみてくれるって話だよ」と言いました。
(友達のキムプンスンのおかあさんがイ・ヨンスに娘と一緒に慰安婦になるように諭している)
(略)
プンスンと川で貝を採っていたら、向こうの土手の上に見たことのない老人と日本人の男の人が立っているのが見えました。老人が私たちの方を指さすと、男の人が私たちの方に降りてきました。男の人が私達たちに手真似で行こうという仕種をしました。(略)プンスンは知らん振りして反対の方に逃げました。
それから何日かたったある日の明け方、プンスンが私の家の窓をたたきながら「そうっと出ておいで」と小声で言いました。私は足音をしのばせてそろそろとプンスンが言う通りに出て行きました。母にも何も言わないで、そのままプンスンの後について行きました。
(略)
行ってみると川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。その男の人は40歳ちょっと前ぐらいに見えました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。その人は私に服の包みを渡しながら、中にワンピースと革靴が入っていると言いました。包みをそうっと開けてみると、ほんとうに赤いワンピースと革靴の入っていました。それをもらって、幼心にどんなに嬉しかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座について行くことにしました。
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↓↓ 12年後 ↓↓
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2005年
2005年4月21日 同志社大学 証言集会
私はいつも母と一緒に寝ていたのですが、ある日の夜寝ていたら、コソコソと音が聞こえました。起きて見てみたら、ある女性が首のほうに何かを突きつけられながら、こちらを覗いていました。それでそこをよく見てみたら、帽子を深くかぶった軍人が立っていました。その女性が、私を見て何も言わずに手振りで私を呼んでいたので、私は怖くなり、部屋を出て外の居間のところで座っていました。するとその女性と軍人が一緒に居間まで入ってきて、その女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時軍人が、私の背中に何かを突きつけていました。そういう風に私は連れ去られていきました。
その日の夜はとても月が明るかったのですけれども、連れ去られて行った先には、上は汽車が走って、下は車が走る、両端には人が通れるようになっているトンネルがありました。その中を見ると、女性が3人と軍人が1人いました。そこに私も行きました。すると、女性の1人が私に風呂敷をくれました。それを触ってみると靴や、ワンピースのような洋服が入っているように思われました。

証言会場の様子
――――――――――
地球が壊れるくらいに世界中で慰安婦芸を披露しているイ・ヨンス婆さんの1993年当時の証言を暴露する!

2012年3月14日、ソウルの日本大使館前の「売春婦像」横で、総選挙出馬を表明する元慰安婦(売春婦)の李容洙(83)。
▼現在の朝鮮人売春婦の実態▼

【話題】 韓国からの出稼ぎデリヘル嬢 「1000万円貯めて帰国したい」・・・経営者 「求人広告をだすと、応募が殺到する」
http://www.news-postseven.com/archives/20120704_126411.html
韓デリ経営者「韓国人女性の求人は完全に買い手市場」と証言
2012.07.04 16:00
日本の風俗業界で巻き起こっている“韓流デリヘルブーム”。韓国メディアが一斉に「人身売買」と批判する問題ともなっている。
東京を例にとると、かつては日暮里や大塚あたりが韓デリの本場だったが、今は鶯谷がメインになっている。鶯谷のホテル街では、デリヘル嬢がホテルから別のホテルへ駆け足で移動する姿も見られるという。
風俗雑誌『俺の旅』の生駒明編集長が解説する。
「90分で3万円が相場だったのが、最近は値崩れが進み60分1万5000円、中には1万円という店もあります」
韓デリの経営者もこう証言する。
「韓国人女性の求人は完全な買い手市場だね。日本の韓国人向け新聞やサイトに広告をだすと、応募が殺到するから」
経営者によると、各店とも摘発防止のために店名をしょっちゅう変えるため、「キャバクラのような人気店はない」とのこと。韓国人デリヘル嬢の実態についても質問してみた。
「お金に困ってる子がほとんど。日本滞在が3か月以内ならビザがいらないから、風俗で働く目的で来日する子も少なくないんだ。しかも今は円高だから韓国より効率よく稼げる。新大久保あたりに住めば日本語なんて一切不要で生活できるし、滅多に母国でバレはしない」
前出の生駒氏もいう。
「出稼ぎデリヘル嬢に聞くと、みな申し合わせたように『1000万円貯めて帰国したい』といいます。昼間は上野あたりのサウナでタオルを畳む仕事をして、夜にデリヘルで稼ぐケースが多いようです」
※週刊ポスト2012年7月13日号
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