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2.アグネス「反日教育してない!日本の歴史教育はウソ!中国と韓国と米国が教えている歴史は一緒。日本の歴史だけ違う」・フジテレビ「なかよしテレビ」のひとコマ・アグネスチャンは支那共産党の工作員で詐欺師

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(つづき)
 
 
 
1.アグネス「反日教育してない!日本の歴史教育はウソ!中国と韓国と米国が教えている歴史は一緒。日本の歴史だけ違う」
フジテレビ「なかよしテレビ」のひとコマ
アグネスチャンは支那共産党の工作員で詐欺師
のつづき
 


>中国側首脳が言及する日中戦争の「犠牲者数」「虐殺被害者数」は戦後一貫して増加し続けており、これを反日プロパガンダと看做す意見もある。


支那における被害者(犠牲者)について、終戦直後は、支那国民党もGHQも、支那人犠牲者の人数を132万人と発表していたが、その後1998年に江沢民が来日した際の演説で3500万人と発言し、以後、南京大虐殺記念館での公式数字となり、現在も死者数の増加は継続中だ。

▼支那人犠牲者数増加の歴史まとめ▼
―――――
発表年  犠牲者数   調査・出典

終戦時   132万人   GHQ調査・発表
終戦時   132万人   国民党調査・発表
1948年   438万人   国民党政府報告書
1950年代 1000万人   共産党政権発表
1970年  1800万人   共産党政権発表
1985年  2100万人   共産党政権発表(抗日勝利40周年)以後公式数字に
1995年 死傷者3500万人 (抗日戦争記念館)
1997年 死者 3500万人 (抗日戦争記念館改修後)死傷者数を死者数に変換
1998年  3500万人   江沢民発表(来日時の演説)以後公式数字に
2005年  5000万人   卞修躍博士発表(抗日勝利60周年)
―――――



支那事変では一般民衆にも多くの犠牲者が出たが、それは日本軍の殺害によるものではなく、支那軍の殺害によるものだった。

例えば1938年6月、支那軍は黄河や揚子江の堤防を決壊させ支那民衆を大量に殺害した。


この時の死者数については、死者は河南省だけの少ない見積もりでも32万人、記録によれば89万人とも100万人とも言われている。


●関連記事
黄河決壊事件
蒋介石が日本軍の進軍を阻止するため1938年6月11日夜黄河の堤防を破壊
死者数は89万人~100万人(河南省だけの犯人の報告で32万人)
支那事変で住民を大量殺戮した支那軍と、懸命に救助した日本軍の代表的事件
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4274.html

(一部抜粋)


以下は、この大水害に関する文献や資料だ。

――――――
『抗日戦回想録』郭沫若自伝より

敵の最初の計画は、伝えられるところでは、大きく迂回した包囲戦略をとり、隴海線に沿って西進し、さらに平漢線南半を奪って大武漢の背をつこうというものだったという。しかしこの戦略は、6月11日の黄河堤防の決壊で、河南省東部が沼沢地帯になったため、水の泡と化した。
あの時、黄河の堤防は開封の西北の五荘、京水鎮、許家堤等で同時に決壊した。わが方の対外宣伝では敵の無差別爆撃による、といっていたが、実はわが軍の前線の将軍が命令によって掘りくずしたのだった。
わが伝統兵法――「水、六軍を淹(ひた)す」だった。
しかし敵が水浸しになった程度はたかの知れたもので、むしろわが方の民間の生命財産が想像もつかぬ犠牲をこうむった。

敵の迂回戦略は挫折したが、逆に正面攻撃戦術をとり、五方面の大軍で長江下流から水陸を並進し、直接武漢を攻撃した。かくてしばしの安逸を貪っていた当局も「大武漢を守れ」の呼びかけを出さざるを得なかった。
私たちが活躍すべき機会到来であった。
――――――



1938年年6月、開封が日本軍に占領されると、支那軍は日本軍の追撃を断ち、日本軍を水攻めにするため黄河の堤防を破壊した。

ところが、支那は、この犯行を「日本軍がやった」と嘘報道した。

支那軍は自ら堤防を破壊しながら、それを日本軍がしたと逆宣伝したのだ。

1938年6月16日
16日付東京朝日新聞夕刊
【上海特電十五日発】
上海軍当局談
「支那側は目下しきりに黄河堤防決壊は日本軍の所為なりと宣伝に努めつつあるが、決壊地点と称される京水鎮には、まだ、日本軍は進出しておらず…」


事実は、この時、日本軍は濁流に飲まれる支那住民を救っていた。

6月23日同盟ニュースには、ボートで救助作業をしている日本軍の写真があった(冒頭に掲載)。

國史図書刊行会編『支那事変』にも、その時の写真が掲載されている。


写真集支那事変国書刊行会\濁流に車馬を渡す須磨部隊(第10師団工兵第10連隊)。中下は洪水によって浸水した農村地帯
濁流に車馬を渡す須磨部隊(第10師団工兵第10連隊)。中下は洪水によって浸水した農村地帯


わが軍の慈愛の手に救はれた黄河氾濫の被害民の群れ
わが軍の慈愛の手に救はれた黄河氾濫の被害民の群れ
支那事変画報 第33号(毎日新聞 1938年7月11日)



更に支那軍は9月23日にも武穴鎮の下流で揚子江を決壊させた。

支那軍は、自分たちが安全に逃げる、ただそれだけのために、夥しい数の支那人民の生命と財産を犠牲にし、お人好しの日本軍に支那住民を救助させた。




支那軍による民衆大虐殺は黄河の堤防を決壊だけではない。

支那軍は1937年の支那事変勃発から1945年8月の終戦まで同じようなことを繰り返して支那民衆を殺しまくった。

支那軍による徴発、略奪、徴兵等は苛酷を極め、支那軍と支那人民との間で殺し合いが頻繁に起こった。

このように、支那民衆を大量に殺害した犯人が日本軍ではなく支那軍だったことは、郭沫若自伝『抗日戦回想録』などで明確に述べられている。

―――――
私はうけ合ってもいい、抗戦八年のあいだにこうしてふみにじられた同胞、いわゆる壮丁から弱丁になり、弱丁から病丁になり、病丁から死丁になって行った同胞の数は、戦死したもの、日本軍に殺されたものにくらべて、最低百倍は超えているに違いない。

『抗日戦回想録』郭沫若自伝
―――――



―――――
農民の飢餓救った日本軍 邦訳本出版 中国で映画化
(06/4/9産経新聞より一部抜粋)

1942年、大飢饉で河南省の農民を救ったのは、日本軍だった。…(略)…劉震雲さん著、劉燕子さん翻訳の「温故一九四二」だ。同小説は日中戦争の最中の1942-43年、河南省を襲った干魃による被災民3千万人、餓死者3百万人という大飢饉の状況を農民、蒋介石ら指導者、米国人記者、日本軍の立場から多面的に描き出した。飢饉の原因は天災だけでなく、中国軍の容赦ない軍糧のとりたてのせいでもあった。その中で、日本軍は餓死寸前の農民に軍糧を放出した。
―――――




他にも支那軍は、上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人を大量殺害! 更に、焦土作戦、世界初の違法毒ガス使用や細菌戦、長沙市焼き払いなどの暴虐・悪逆の限りを尽くして大量の支那人民を惨殺した!

●参考記事

支那の「極悪暴虐・大虐殺」と「卑怯な逆宣伝」のまとめ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12704324.html


●結論

支那事変における支那軍戦死者は132万人(GHQ発表、国民党発表)

支那民衆を大量殺害したのは日本軍ではなく支那軍だった。これは多数の証拠資料から紛れもない事実

日本軍が無辜の支那民衆を惨殺した証拠資料は全くない。






アグネスチャン(陳美齡)は、支那共産党の工作員であり、本業は日本ユニセフ協会と組んでのピンハネその他の詐欺だ。
アグネスチャンのピンハネ豪邸
アグネスチャンのピンハネ豪邸


遺書まで書き残して「危険なソマリアに行く」と言っておいて、実は安全な観光地である「ソマリランド共和国」に旅行した事件もあった。
アグネス・チャン児童買春\ソマリランド

●関連記事
アグネス「心を痛めている事があります。」
週刊ポスト4月15日号のユ偽フ批判記事【日本ユニセフ協会「被災者に渡らない募金」が暴かれた】にブログ「アグネスちゃんこ鍋」で反論
「募金から収入を得ているという中傷」←黙れ詐欺師!
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4206.html




アグネスチャン(陳美齡)は、「(中国は)反日教育はしてないんです。反日教育はしてない。歴史を教えてるだけです。」
「中国が教えてる歴史も、韓国が教えてる歴史も、アメリカで私が学んだ中国とアジアの歴史も一緒なんです。 日本の歴史だけが違うんです。」
「(日本人は)真実を教えてもらってないんです。」

と豪語したが、現実は完全に逆だ。


日本の教科書はアジアで一番正しく欧米の教科書より正しい
http://aparc.stanford.edu/research/divided_memories_and_reconciliation/


昨年12月に読売新聞が報じた「日本の歴史教科書は最も抑制的」というスタンフォード大学の調査報告について、スタンフォード大学の学者が雑誌サピオに論文「日米中韓台の比較研究で分かった一番公正な歴史教科書は日本」を寄稿している。

以下は、その寄稿の要約からの抜粋だ。

――――――――――
日本の教科書
今回比較した中では日本の教科書が最も愛国的記述がなく、戦争の賛美などは全くしていない
日本の中国進出についてのくだりは全く事実をそのまま伝えており、当時の軍と政府のリーダーたちの責任だとしている
非常に平板なスタイルでの事実の羅列であり、感情的なものがない。

韓国の教科書
韓国の教科書は特にナショナル・アイデンティティーの意識の形成に強く焦点を当てている。自分たち韓国人に起こったことを詳細かつ念入りに記述している。
韓国の教科書は、中国で起きた戦争に関する記述が希薄だ
韓国は日本の中国に対する行為には興味はなく、日本が自分たちに行ったことだけに関心がある
私が驚愕した一つの例は、主要な韓国の教科書には広島長崎の原爆投下の記述がないことだ。それほどまでに彼らは自己中心的にしか歴史を見ていない。

中国の教科書
歴史学の観点から見て、最も問題が多いのは中国の教科書だ。
中国の教科書は全くのプロパガンダになっている。共産党のイデオロギーに満ちており、非常に政治化されている。太平洋戦争に関してほとんど記述がなく、広島・長崎の原爆投下もほとんど言及していない。
中国の教科書は2004年に改定されているが、改定後は中国人の愛国心を謳い、日本との戦いを強調している。
内戦の話は後退し、抗日戦線での勇ましい描写が増えた。南京事件などをより詳細に記述するなど、日本軍による残虐行為もより強調されている。つまり中国人のナショナリズムを煽っている。

日本の歴史教科書の戦争記述は、戦後日本が外交政策の手段として軍事力の保持を拒んでいることと完全に歩調を合わせている。

 日本の学習指導要領は、近隣諸国との友好的で協力的な関係の発展、アジアと世界の平和と安定の必要性を強調している。

奇妙な結果
 対照的に、ほかの東アジア諸国の大半は自国史の教科指針で、歴史教育の基本的役割として民族の自尊心と国民のアイデンティティー(帰属意識)の増進を主張している。

 民族の自尊心を強調することは、時に奇妙な結果を生む。例えば、韓国の教科書は、1937年に中国で勃発した戦争や真珠湾攻撃、広島と長崎への原爆投下など他国の教科書が取り上げている戦時中の主要な出来事に言及していない。
代わりに、日本の植民地統治に対する朝鮮人の抵抗運動や文学における文化的発展にもっぱら焦点を当てている。言い換えれば、解放に向けた民族闘争の継続が韓国の教科書の物語の筋である。
――――――――――

 
 
 
 
 
 

 
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