(つづき)
1.GSなどで福島県内ナンバーお断り、レストランで入店拒否などの放射能差別、風評
反原発活動家のプロパガンダもあなたが子供だった時、東京の「放射能」は1万倍!
「週刊新潮」4月14日号
のつづき


あなたが子供だった時、東京の「放射能」は1万倍「週刊新潮」4月14日号
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あなたが子供だった時、東京の「放射能」は1万倍!
「週刊新潮」4月14日号
放射能汚染の風評被害は抜き差しならない状況にある。野菜ばかりか福島の住人までが各地で受け入れを拒まれているが、拒絶している側も、かつてはかなりの量の放射能を浴びていたのだ。冷戦激しかりし頃、東京にも今の1万倍もの放射能が降っていたので……。
まだしばらくの間、福島第一原発から放射性物質が外に漏れるのを、止められそうにない。最悪の事態を防ぐには原子炉をしっかりと冷やすことが大切で、その間、多少の流出は避けられないという。
すると、度を過ぎた風評被害も当面は、収まらないのだろうか。
福島県農産物安全流通課の沢田吉男主幹は、
「農産物が市場で引き取ってもらえません。今、出回っているキュウリやトマト、イチゴなどは出荷規制の対象外で、安全性も何ら心配要らないのですが、買い手が付かないか、あるいは買い叩かれています」
と嘆き、同県原子力安全対策課の片寄久巳主幹も、こう話を継ぐ。
「国の基準が信用されず、福島産をやみくもに排除する動きがあって、農産物ばかりか、お酒や工業製品までもが風評被害に遭っています。お酒は去年の水と米で作っているから今の汚染と関係ないのに、納入先に〝放射能に汚染されていないことを証明しろ″と求められたりしている。工業製品も部品の納入先が“(汚染されていないという)官公庁の証明がないと困る”と言ってきています」
しかも、話は“品物”に止まらず、
「原発事故で被災者の方々が、他県の一時避難先から“放射線を浴びていない”という証明書を求められる場合もあるのです」(同)
そんな目に遭っている避難住民のひとりによれば、
「放射線は胎児に影響を及ぼすから、福島の娘とは結婚したくない、なんてことまで言われている」
という。
その話を伝えると、片寄主幹は、
「失礼極まりない。ちょっとでも被曝すると“あの人は将来、変になる”というのは一番酷い風評で、それが一人ひとりのトラウマになり、心理的な負担になっている。何よりいけない」
こう怒りを露わにするのである。さらには、こうした風評被害は日本全体に及ぼうとしているようで、
「中国や韓国、あるいはアメリカでも、日本からの輸入食品はすべて放射線で汚染されているかのように受け取られ、“何マイクロシベルト以下でないと買わない”という一方的なボイコット運動が起ころうとしています」
と、金沢大学の山本政儀教授(環境放射能学)は憂えて、こう続ける。
「食品ばかりではありません。私か住んでいる石川県の工業製品も、今回の事故とは地域的にも何ら関係ないにもかかわらず、全製品について“放射線がレベル以下である”という証明書を添付しないと、輸出ができなくなっています。次々と起こる風評が、これから日本に甚大な被害をもたらしそうで、心配です」
今、日本製品を忌避しようとしている国々は、かつて放射能とどう向き合っていたというのか。だが、それについて触れるのは後にしよう。まずは、福島を襲っている謂われなき風評の根を絶つ方途を考えなくてはなるまい。
同様の願いから、あるレポートを書いたのは、神戸市立工業高専の一瀬(いっせ)昌嗣准教授(理論核物理学)で、
「福島に支援物資が届かなかったり、ボランティアが来なかったりという深刻な状況を聞き、心を痛めています。これでは原発を必要以上に怖がるあまり、被災者の命を脅かすことにすらなります。放射能は決して軽視すべきではありません。しかし、核実験の時代にも日本には放射性物質が降ってきており、それによる健康被害は疫学的に確認さたていないことも、知っておくべきだと思います」
そう話す一瀬准教授による“レポート”とは、冷戦時代に米ソなどが繰り返した核実験によって日本に降下した放射性物質と、今回の事故による被曝とを比べたもの。要は、原爆を除いても、日本人が広範阻にわたり放射性物質による被曝を受けるのは、今回が初めてではないというのだ。
大気や潮の流れを調べて
(略)
「米ソが大気圏内の核実験を繰り返していた60年代までは、たしかに東京における放射性セシウムの降下量は、今回、福島の事故が起こる前までの1000倍以上の数値でした」
それどころか、たとえば63年8月に東京都中野区で計測されたセシウム137は、1平方メートル当たり548ペクレルだったが、90年代には50ミリペクレルに満たない月がある。
ちなみに、ベクレルは放射性物質が1秒間に出す放射線の量。そこに“ミリ”が付くと数値は1000分の1になるので、両者の間には1万倍もの開きがある。つまり、高度経済成長真っ只中の東京であなたもまた、平時の1万倍にも上る放射能を浴びていたのである。
(以下略)
10年以上も高い被曝量が
ところで、気象研究所によるこのデータを見たことがある研究者は、なぜか少ない。大阪大学の宮崎慶次名誉教授(原子力工学)も、
「そういうものが存在するのは知っていましたが」
と、こう続ける。
「改めて聞き、たびたびの核実験で日本に放射性物質が降下していた記憶が蘇りました。私が住んでいる大阪では当時、浄水場の放射線レベルが許容範囲をはるかに超えたことが何度かあったのに、発表されなかった。ずいぶん後で、住民に不安感を与えないように発表を控えたと知らされました。当時、許容範囲を超えた放射線が降る下で暮らしていたのです。でも、今までに際立った被害はなかったと言える。今回の事故は反省すべきですが、放射線を怖れているだけでは、正しい判断はできません」
東京工業大学原子炉工学研究所の松本義久准教授も、初めて、データの数値を精査し、そのうえで、
「気象研究所のデータを見ると、60年代のピーク時と今回の震災が起きる前では、放射性降下物の量に1000~1万倍もの開きがあることがわかりますね」
(略)
黄砂に乗って
ところで気象研究所のデータでは、近年も春には、放射性降下物がほかの季節より多く計測されていた。
「かつての核実験などで放出された微量の放射性物質が、中国の土壌中に含まれていて、春になると再浮遊し、黄砂に乗って飛んでくるのです」(企画室)
今や中国は、日本製品が“汚染”されているとボイコットを企む国である一方、福島産などを避けたいわが外食産業にとって“安全”を旗印にした野菜の仕入先にもなっている。だが、
「私がこれまで原水爆実験国を調査してきた結果、日本に最も悪影響を及ぼしたのは、東京オリンピックから文化大革命にかけて中国で行われた核実験です」
と、札幌医科大学の高田純教授(放射線防護学)。放射能に汚染された土壌が、黄砂として日本まで飛んでくるわけだ。また、3月末まで中国を訪れていた京都大の吉川榮和名誉教授(原子炉安全工学)が言うには、
「一方で、中国人は日本の原発事故に驚き、我先に帰国しています。中国では国内の放射能のことを知らされていないからです。中国のテレビでは“日本の食品は心配要らない”と強調しているのですが、一般の中国人は日本のことばかり怖れてしまうのです」
今、日本人が中国野菜を喜んで食べるのも、中国人が日本の産物を避けるのも、謂われなき風評による国際的な“誤解”のなせるわざと言えそうだ。
(中略)
福島に対する暴力的なまでの風評をはじめ、我々の無知が時に、放射能を超える被害をもたらすことを肝に銘ずるべきだろう。
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![あなたが子供だった時、東京の「放射能」は1万倍「週刊新潮」4月14日号]()
「週刊新潮」4月14日号
私は、3月20日付のブログ記事で昔の放射線量や放射性物質が、今よりも長期に亘って非常に多く飛来していたことを指摘したが、ようやく「週刊新潮」がこの点に着眼した記事を書いてくれた。
我々人類は、もう既に1950年代~1980年代にかけて、福島第一原発の影響で増えた放射線量や放射性物質よりも遥かに大量の放射線量や放射性物質を浴びている。
特に1960年代は非常に多かった。
その事実を知らない無知な連中が、今回の福島第一原発の事故で増えた放射線量や放射性物質で大騒ぎしている。
このアホ丸出しの醜態を晒しているのは、日本政府やNHKをはじめとするマスコミも同じだ。
政府やマスコミは風評被害の鎮静化を呼びかけているが、ならば以前は世界中でもっと大量の放射性物質が降っていた事実を明らかにするべきだ。
最近、問題になっている汚染水の海への放出も同じことだ。
米ソなどは水中核実験を散々やっていた。
アメリカのキャッスル・ブラボー作戦のビキニ環礁での水爆実験は日本でも有名だ。
あの時もマグロなどの価格が暴落したが、健康への影響は全くなかったし、そもそも同じような水中核実験は他にも散々行われていたことだ。
第5福竜丸が被曝したから日本政府やマスコミは大騒ぎし、その時だけマグロ価格の暴落などの風評被害が発生した。
![アメリカのビキニ核実験(ブラボー実験)のキノコ雲]()
アメリカの水中核実験「ビキニ核実験」(ブラボー実験)のキノコ雲
ロシアなんて1990年代にロシア極東地域(ウラジオストク近郊及びカムチャッカ)などに老朽化した原子力潜水艦などを未処理のまま係留させ、高レベルの放射能汚染水を日本に向けて垂れ流していた。
仕方ないから、日本政府は、日本国民の税金でそれらロシア原潜の処分を行った。
政府・外務省は、日本国民の血税を使ったロシア退役原潜解体協力事業に「希望の星」と名付けた。
![原潜解体支援(ロシア退役原潜解体協力事業「希望の星」)]()
![原潜解体支援(ロシア退役原潜解体協力事業「希望の星」)]()
支那も1964年から1980年代まで東トルキスタンの楼蘭などの砂漠で、住民やシルクロード観光客を避難させないまま何十回も大気圏内核実験を行った。
日本へも何十年間にもわたり支那大陸から大量の放射性物質が飛来した。
しかし、日本政府は、これら支那による日本人シルクロード観光客を含む有人核実験や大量の放射性物質の日本への飛来について抗議したことはないはずだ。
日本のマスコミも、支那の有人核実験や日本への放射性物質飛来を非難したことはない。
それどころか、NHKは1980年からシルクロードへの旅行を促す番組を放送していた。
![高田純著. 「核の砂漠とシルクロード観光のリスク」]()
高田純著「核の砂漠とシルクロード観光のリスク」
![1960年代前半の放射性物質(ストロンチウム-90)濃度は1998年以降の概ね1,000倍だった。]()
1960年代前半の放射性物質(ストロンチウム-90)濃度は1998年以降の概ね1,000倍だった。
測定データで見る「過去の出来事」
退避すべきかとどまるべきか
1,000倍以上のストロンチウム-90降下量が続いていたこの期間に誕生した子供たちの中に、特に悪い影響がみられるという指摘はない。
「米ソが大気圏内の核実験を繰り返していた60年代までは、たしかに東京における放射性セシウムの降下量は、今回、福島の事故が起こる前までの1000倍以上の数値でした」
それどころか、たとえば63年8月に東京都中野区で計測されたセシウム137は、1平方メートル当たり548ペクレルだったが、90年代には50ミリペクレルに満たない月がある。
ちなみに、ベクレルは放射性物質が1秒間に出す放射線の量。そこに“ミリ”が付くと数値は1000分の1になるので、両者の間には1万倍もの開きがある。つまり、高度経済成長真っ只中の東京であなたもまた、平時の1万倍にも上る放射能を浴びていたのである。
(以下略)
10年以上も高い被曝量が
ところで、気象研究所によるこのデータを見たことがある研究者は、なぜか少ない。大阪大学の宮崎慶次名誉教授(原子力工学)も、
「そういうものが存在するのは知っていましたが」
と、こう続ける。
「改めて聞き、たびたびの核実験で日本に放射性物質が降下していた記憶が蘇りました。私が住んでいる大阪では当時、浄水場の放射線レベルが許容範囲をはるかに超えたことが何度かあったのに、発表されなかった。ずいぶん後で、住民に不安感を与えないように発表を控えたと知らされました。当時、許容範囲を超えた放射線が降る下で暮らしていたのです。でも、今までに際立った被害はなかったと言える。今回の事故は反省すべきですが、放射線を怖れているだけでは、正しい判断はできません」
東京工業大学原子炉工学研究所の松本義久准教授も、初めて、データの数値を精査し、そのうえで、
「気象研究所のデータを見ると、60年代のピーク時と今回の震災が起きる前では、放射性降下物の量に1000~1万倍もの開きがあることがわかりますね」
(略)
黄砂に乗って
ところで気象研究所のデータでは、近年も春には、放射性降下物がほかの季節より多く計測されていた。
「かつての核実験などで放出された微量の放射性物質が、中国の土壌中に含まれていて、春になると再浮遊し、黄砂に乗って飛んでくるのです」(企画室)
今や中国は、日本製品が“汚染”されているとボイコットを企む国である一方、福島産などを避けたいわが外食産業にとって“安全”を旗印にした野菜の仕入先にもなっている。だが、
「私がこれまで原水爆実験国を調査してきた結果、日本に最も悪影響を及ぼしたのは、東京オリンピックから文化大革命にかけて中国で行われた核実験です」
と、札幌医科大学の高田純教授(放射線防護学)。放射能に汚染された土壌が、黄砂として日本まで飛んでくるわけだ。また、3月末まで中国を訪れていた京都大の吉川榮和名誉教授(原子炉安全工学)が言うには、
「一方で、中国人は日本の原発事故に驚き、我先に帰国しています。中国では国内の放射能のことを知らされていないからです。中国のテレビでは“日本の食品は心配要らない”と強調しているのですが、一般の中国人は日本のことばかり怖れてしまうのです」
今、日本人が中国野菜を喜んで食べるのも、中国人が日本の産物を避けるのも、謂われなき風評による国際的な“誤解”のなせるわざと言えそうだ。
(中略)
福島に対する暴力的なまでの風評をはじめ、我々の無知が時に、放射能を超える被害をもたらすことを肝に銘ずるべきだろう。
━━━━━━━━━━

「週刊新潮」4月14日号
私は、3月20日付のブログ記事で昔の放射線量や放射性物質が、今よりも長期に亘って非常に多く飛来していたことを指摘したが、ようやく「週刊新潮」がこの点に着眼した記事を書いてくれた。
我々人類は、もう既に1950年代~1980年代にかけて、福島第一原発の影響で増えた放射線量や放射性物質よりも遥かに大量の放射線量や放射性物質を浴びている。
特に1960年代は非常に多かった。
その事実を知らない無知な連中が、今回の福島第一原発の事故で増えた放射線量や放射性物質で大騒ぎしている。
このアホ丸出しの醜態を晒しているのは、日本政府やNHKをはじめとするマスコミも同じだ。
政府やマスコミは風評被害の鎮静化を呼びかけているが、ならば以前は世界中でもっと大量の放射性物質が降っていた事実を明らかにするべきだ。
最近、問題になっている汚染水の海への放出も同じことだ。
米ソなどは水中核実験を散々やっていた。
アメリカのキャッスル・ブラボー作戦のビキニ環礁での水爆実験は日本でも有名だ。
あの時もマグロなどの価格が暴落したが、健康への影響は全くなかったし、そもそも同じような水中核実験は他にも散々行われていたことだ。
第5福竜丸が被曝したから日本政府やマスコミは大騒ぎし、その時だけマグロ価格の暴落などの風評被害が発生した。

アメリカの水中核実験「ビキニ核実験」(ブラボー実験)のキノコ雲
ロシアなんて1990年代にロシア極東地域(ウラジオストク近郊及びカムチャッカ)などに老朽化した原子力潜水艦などを未処理のまま係留させ、高レベルの放射能汚染水を日本に向けて垂れ流していた。
仕方ないから、日本政府は、日本国民の税金でそれらロシア原潜の処分を行った。
政府・外務省は、日本国民の血税を使ったロシア退役原潜解体協力事業に「希望の星」と名付けた。


支那も1964年から1980年代まで東トルキスタンの楼蘭などの砂漠で、住民やシルクロード観光客を避難させないまま何十回も大気圏内核実験を行った。
日本へも何十年間にもわたり支那大陸から大量の放射性物質が飛来した。
しかし、日本政府は、これら支那による日本人シルクロード観光客を含む有人核実験や大量の放射性物質の日本への飛来について抗議したことはないはずだ。
日本のマスコミも、支那の有人核実験や日本への放射性物質飛来を非難したことはない。
それどころか、NHKは1980年からシルクロードへの旅行を促す番組を放送していた。

高田純著「核の砂漠とシルクロード観光のリスク」

1960年代前半の放射性物質(ストロンチウム-90)濃度は1998年以降の概ね1,000倍だった。
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1,000倍以上のストロンチウム-90降下量が続いていたこの期間に誕生した子供たちの中に、特に悪い影響がみられるという指摘はない。
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