
4月28日(日)、TBSの「サンデーモーニング」で、河野洋平らが嘘出鱈目を言いたい放題話していた。
公共の電波を使ってのあまりにも酷い嘘出鱈目のオンパレードなので、嘘出鱈目を指摘し、事実を述べておきたい。
――――――――――
画像と書き起こしはメイド・イン・ジャパン!より
4月28日
TBS
サンデーモーニング







河野洋平
「靖国神社問題はですね
とにかく日本が中国韓国に侵略をしたり、或いは植民地化したりして相当な迷惑をかけてきたという歴史的事実があるわけですね。
その歴史的事実をどれだけ日本が反省をしたり、お詫びの気持ちを持ったりしてるかって事を今ま我々の先輩は長い事ずーっと言い続けて、そして日中関係日韓関係を維持してきたわけです。
それをこういう風にメチャクチャにしてしまう、つまりこれはですね
もう明らかに、その、軍国主義者として、そのA級戦犯だと言われて断罪された人達が祀られている靖国神社
しかも今日はさっき関口さんが仰ったように、この主権回復の日という
主権回復の日っていうのはつまり、サンフランシスコ講和条約を受け入れた日ですね。
サンフランシスコ講和条約には東京裁判の結果を受託してるわけですね
東京裁判については、あれはいいとか悪いとかって色々議論はあるけれど
兎に角、あの裁判の結果を受託した。そしてサンフランシスコ条約ができたわけですから
その日を今日お祝いしようと言ってみんなで集まってですね
受託して戦犯を我々がのんだ、その人が祀られている靖国神社に同じ内閣の閣僚が皆で参拝するっていうのは、本当にどう考えても自己矛盾なんですね
……」


幸田真音
「私もあのー、何がしたいんだろう(笑)つい思ってしまうんです
…」


中央大学教授
目加田説子
…外交問題にはならない!という主旨の発言を政府関係者がしてますけど
とんでもなくって!外交問題にするかしないか自分で決める事ではないですよね?
諸外国がどう受け止めるかって事によって、成立するわけですし、それから何よりも
戦争で多くの日本人も確かに犠牲になった。そういう方達が祀られていると。
という事があったとしてもですよ、同時に日本はアジアでもの凄い被害をもたらしてきたじゃないですか。
…
![4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社]()
![4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社]()
涌井
…
昭和天皇がですね、どんなお気持ちを持っていたのかって事を考えてもそこは
はっきりするわけでですね
…
![4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社]()
![4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社]()
岸井成格
今、涌井さんが言われた大事なことは
昭和天皇がどういうお気持ちだったかって言ったのは
A級戦犯が合祀されてから、昭和天皇もね参拝されなくなったんですよ
…
![4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社]()
![4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社]()
河野
…そのいち宗教法人にですね、もう色んなものを全部そこに寄せ集めて
国の気持ちを靖国神社で全部表現しようとする
これ無理なんですよ!
![4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社]()
関口
・・・ですねぇ。
ハアァ――…コマーシャルをちょっと入れさしてください
――――――――――
>河野洋平
>とにかく日本が中国韓国に侵略をしたり、或いは植民地化したりして相当な迷惑をかけてきたという歴史的事実があるわけですね。
そんな事実はない。
まず、「日本が韓国に侵略」って、完全に意味不明!
植民地化もしていないし、迷惑もかけていない。
朝鮮は7世紀から19世紀まで歴代支那大陸帝国の属領・属藩だった。
日本は日清戦争後の1985年の下関条約で清国に朝鮮の独立を認めさせ、朝鮮は日本のお陰でようやく独立できた。
日本のお陰で清国から独立できた朝鮮(大韓帝国)は日本からカネやヒトの支援を受けたが、あまりにも朝鮮人の能力が欠如していたために国家破綻の危機が続いた。
結局、自分たちの力ではマトモに独立(一人立ち)できそうになかった朝鮮人は、日本との合邦を希望した。
![「合邦」を望む、朝鮮半島からの熱意あふれる電報の数々。]()
「合邦」を望む、朝鮮半島からの熱意あふれる電報の数々。
大韓帝国で最大の政治団体だった「一進会」は1909年12月4日、「韓日合邦を要求する声明書」を作成し、上奏文と請願書をそれぞれ李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出した。
――――――――――
「韓日合邦を要求する声明書」
日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。
それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。
丁未条約を締結することになったのも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。
伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。
にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。
これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。
(中略)
それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。
1909年 12月4日 一進会(百万の朝鮮人会員)
――――――――――
李完用首相は1910年8月18日に閣議を開いたがまとまらず、8月21日李完用が皇帝に内奏し、皇帝の了承を取り付けた。
これにより1910年8月22日の韓国の御前会議で韓国は正式に日韓併合を決定した。
![(上)日本統治前、(下)日本統治中]()
(上)日本統治前、(下)日本統治中
日韓併合により、日本は、階級による身分差別を撤廃し、両班による搾取・虐待から農民を救い、移住の自由を認めさせ、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法などを廃止し、女性再婚の自由を保障し、人権尊重などの法治国家の基礎をつくり、学校教育制度を導入し、読み書きを教え、ハングル文字を復活・普及させ、台湾では運動が起きても1~2%にしか許可しなかった改姓名だが、85%の朝鮮人には創氏改名を許可し、鉄道網、道路網を整備し、港の開設工事をし、水力発電所を建設し、重化学工業を興し、緑化政策によって山野を甦らせ、不毛の地を開拓し、河川大事業で洪水を減少させ、水田を倍増させ、世界中から世界一不潔と言われた町々を清潔にし、近代医療制度を導入し、平均寿命を24歳から45歳にのばし、人口を2倍にし、内地(日本)への渡航規制を犯して来る密航者にも寛容に対処した。
![併合後のソウル]()
併合後のソウル
次に、「日本が中国に侵略」をしたという事実もない。
1900年、「義和団の乱」で、支那人たちが北京などに駐在していた外国人を大虐殺した。
北京などで自国民が大虐殺された列国は、連合軍を派遣し、ようやく支那人どもによる外国人大虐殺事件を鎮静した。
そのときに列国と清国と結んだ講和議定書が「北京議定書」だ。


涌井
…
昭和天皇がですね、どんなお気持ちを持っていたのかって事を考えてもそこは
はっきりするわけでですね
…


岸井成格
今、涌井さんが言われた大事なことは
昭和天皇がどういうお気持ちだったかって言ったのは
A級戦犯が合祀されてから、昭和天皇もね参拝されなくなったんですよ
…


河野
…そのいち宗教法人にですね、もう色んなものを全部そこに寄せ集めて
国の気持ちを靖国神社で全部表現しようとする
これ無理なんですよ!

関口
・・・ですねぇ。
ハアァ――…コマーシャルをちょっと入れさしてください
――――――――――
>河野洋平
>とにかく日本が中国韓国に侵略をしたり、或いは植民地化したりして相当な迷惑をかけてきたという歴史的事実があるわけですね。
そんな事実はない。
まず、「日本が韓国に侵略」って、完全に意味不明!
植民地化もしていないし、迷惑もかけていない。
朝鮮は7世紀から19世紀まで歴代支那大陸帝国の属領・属藩だった。
日本は日清戦争後の1985年の下関条約で清国に朝鮮の独立を認めさせ、朝鮮は日本のお陰でようやく独立できた。
日本のお陰で清国から独立できた朝鮮(大韓帝国)は日本からカネやヒトの支援を受けたが、あまりにも朝鮮人の能力が欠如していたために国家破綻の危機が続いた。
結局、自分たちの力ではマトモに独立(一人立ち)できそうになかった朝鮮人は、日本との合邦を希望した。

「合邦」を望む、朝鮮半島からの熱意あふれる電報の数々。
大韓帝国で最大の政治団体だった「一進会」は1909年12月4日、「韓日合邦を要求する声明書」を作成し、上奏文と請願書をそれぞれ李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出した。
――――――――――
「韓日合邦を要求する声明書」
日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。
それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。
丁未条約を締結することになったのも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。
伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。
にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。
これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。
(中略)
それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。
1909年 12月4日 一進会(百万の朝鮮人会員)
――――――――――
李完用首相は1910年8月18日に閣議を開いたがまとまらず、8月21日李完用が皇帝に内奏し、皇帝の了承を取り付けた。
これにより1910年8月22日の韓国の御前会議で韓国は正式に日韓併合を決定した。

(上)日本統治前、(下)日本統治中
日韓併合により、日本は、階級による身分差別を撤廃し、両班による搾取・虐待から農民を救い、移住の自由を認めさせ、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法などを廃止し、女性再婚の自由を保障し、人権尊重などの法治国家の基礎をつくり、学校教育制度を導入し、読み書きを教え、ハングル文字を復活・普及させ、台湾では運動が起きても1~2%にしか許可しなかった改姓名だが、85%の朝鮮人には創氏改名を許可し、鉄道網、道路網を整備し、港の開設工事をし、水力発電所を建設し、重化学工業を興し、緑化政策によって山野を甦らせ、不毛の地を開拓し、河川大事業で洪水を減少させ、水田を倍増させ、世界中から世界一不潔と言われた町々を清潔にし、近代医療制度を導入し、平均寿命を24歳から45歳にのばし、人口を2倍にし、内地(日本)への渡航規制を犯して来る密航者にも寛容に対処した。

併合後のソウル
次に、「日本が中国に侵略」をしたという事実もない。
1900年、「義和団の乱」で、支那人たちが北京などに駐在していた外国人を大虐殺した。
北京などで自国民が大虐殺された列国は、連合軍を派遣し、ようやく支那人どもによる外国人大虐殺事件を鎮静した。
そのときに列国と清国と結んだ講和議定書が「北京議定書」だ。
この「北京議定書」は、英・米・仏・露・独・墺・伊・白・西・蘭・日の11カ国と締結され、外国の軍隊が支那に駐屯し、支那の警察の役割を務めることになった。
今日本では「日米安保条約」による合意の上で米軍が日本に駐留しているように、20世紀前半には「北京議定書」による合意の上で日本を含む列国が支那に駐屯していた。
支那が「北京議定書」による合意の上で支那に駐屯していた日本軍や支那在住日本人を攻撃したために、1937年に支那事変が始まった。
支那事変は、支那共産党が盧溝橋事件を起こし、支那軍が停戦協定を何度も繰り返し破って継続・拡大した戦争。
盧溝橋事件の約3週間後には、支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した(通州事件)。
更に2週間後、支那軍は数十万人という大軍で上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃した。
支那軍機は上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量に殺害した。
その後も支那は、日本が提出した和平案をことごとく蹴り、戦争を継続し、支那人民を虐め抜いた。
支那軍による徴発・徴用・徴兵は過酷を極めた。
支那軍は、上海市街地爆撃の他、焦土作戦、黄河・揚子江の堤防破壊(決壊)などによって多くの民衆を殺害し、世界で初めて違法毒ガスを使用したり細菌戦を行なったりするなどの暴虐・悪逆の限りを尽くした。
支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争なのだから、日本にとっては自衛戦争以外の何ものでもない。
>河野洋平
>サンフランシスコ講和条約には東京裁判の結果を受託してるわけですね
>受託して戦犯を我々がのんだ、その人が祀られている靖国神社に同じ内閣の閣僚が皆で参拝するっていうのは、本当にどう考えても自己矛盾なんですね
日本は東京裁判の戦犯を認めていないし、国際社会も同じく東京裁判の戦犯を認めていない。
サンフランシスコ平和条約11条で日本が受諾したのは、「judgements=判決」つまり「刑の執行の継承(刑の即時停止の防止)」であり、内容や判決理由を含む「裁判」そのものを受諾した訳ではない。
「judgement」という英単語は、uncountable nounの場合には稀に「裁判」と和訳する事もあるが、サンフランシスコ平和条約11条の場合は、「Judgements」と複数形になっており、その場合には、countable nounだから、「裁判」にはならずに「判決」となる。
通常「裁判」を意味する「trial」、「proceedings」と区別されるべきことは、例えば権威ある法律辞典『Black´s Law Dictionary』の説明からも明白なのだ。
もっと判り易いのはスペイン語正文だ。
スペイン語正文では、日本は諸軍事法廷の「判決」(las sentencias)を受諾し、それらの法廷により言渡された刑(las sentencias pronunciadas por ellos)を執行すべきものと書かれている。
スペイン語の「sentencia」は、【判決】または【宣告された刑】を意味するが、【裁判】を意味する言葉ではない。
英語でもフランス語でもスペイン語でも、日本が受諾するのは【裁判】ではなく【判決】(刑の執行の継承)だと言っているのに、日本語の訳だけが【裁判】を受諾するとなっているのだから、日本が誤訳を記載して放置しているだけのこと。
スペイン語正文では、日本は諸軍事法廷の「判決」(las sentencias)を受諾し、それらの法廷により言渡された刑(las sentencias pronunciadas por ellos)を執行すべきものと書かれている。
スペイン語の「sentencia」は、【判決】または【宣告された刑】を意味するが、【裁判】を意味する言葉ではない。
英語でもフランス語でもスペイン語でも、日本が受諾するのは【裁判】ではなく【判決】(刑の執行の継承)だと言っているのに、日本語の訳だけが【裁判】を受諾するとなっているのだから、日本が誤訳を記載して放置しているだけのこと。
つまり、当時の日本が受け入れたのは、「刑の執行の継承(判決)」であって、「内容や判決理由(裁判)」ではない。
「判決を受諾する」ということは、「刑の執行を継承する」ということであって、「(侵略や虐殺などを捏造された)裁判の内容や判決理由を受諾する」ということではない。
服役中の者など全員をいきなり無罪にしたら、既に死刑を執行された者もいたために連合軍が悪者になってしまってマズイから、便宜上第11条があっただけで、これによって刑の執行の即時停止を阻止したに過ぎないのだ。
当時の法務総裁(法務大臣)や外務省条約局長や国会議員などの解釈や見解もそのようなものだった。
服役中の者など全員をいきなり無罪にしたら、既に死刑を執行された者もいたために連合軍が悪者になってしまってマズイから、便宜上第11条があっただけで、これによって刑の執行の即時停止を阻止したに過ぎないのだ。
当時の法務総裁(法務大臣)や外務省条約局長や国会議員などの解釈や見解もそのようなものだった。
また、これについては世界の国際法学界の常識も完全に一致している。
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要するに、十一条の規定は、日本政府による「刑の執行の停止」を阻止することを狙ったものに過ぎず、それ以上の何ものでもなかったのです。日本政府は十一条の故に講和成立後も、東京裁判の「判決」中の「判決理由」の部分に示されたいわゆる東京裁判史観(日本悪玉史観)の正当性を認め続けるべき義務があるという一部の人々の主張には、まったく根拠がありません。
筆者は昭和六十一年八月にソウルで開催された世界的な国際法学会〔ILA・国際法協会〕に出席して、各国のすぐれた国際法学者たちと十一条の解釈について話し合いましたが、アメリカのA・P・ルービン、カナダのE・コラス夫妻(夫人は裁判官)、オーストラリアのD・H・N・ジョンソン、西ドイツのG・レスなど当代一流の国際法学者たちが、いずれも右のような筆者の十一条解釈に賛意を表明されました。議論し得た限りのすべての外国人学者が、「日本政府は、東京裁判については、連合国に代わり刑を執行する責任を負っただけで、講和成立後も、東京裁判の判決理由によって拘束されるなどということはない」と語りました。これが、世界の国際法学界の常識なのです。
佐藤和男監修『世界がさばく東京裁判』
――――――――
(つづく)