
自宅不在、説明会欠席と姿を消した担任の森山進
朝鮮語教育には熱心だったが、現在は生徒に無関心。
http://www.news-postseven.com/archives/20120720_130829.html
大津いじめ担任 韓国語教育に熱心だったが現在生徒に無関心
2012.07.20 07:00
滋賀県大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒(当時13歳)がいじめを苦に自殺したとされる事件は、自殺生徒の父親が元同級生らを告訴するなど全国的な話題となっている。事件が騒動になって以降、担任教師の男性は表に出なくなっている。7月12日に開かれた保護者説明会にも、出席しなかった。
「保護者からは『担任が出てきて説明すべきだ』という声が上がったが、校長は『自分の判断で出席させなかった』の一点張りでした。担任がいじめの様子を見ていながら『そのくらいにしとき』と笑っていたともいわれている。そうしたことが本当だったのかどうかが知りたかったのに、説明会では何も答えていません」(2年生の母親)
なぜ彼は表で説明しようとしないのか。それは、「彼がしゃべれば、学校がこれまで行なってきたいじめの封印工作がすべてばれてしまうから」(学校関係者)だという。
それだけではない。学校側が恐れているのは、この担任教師自身に、事件を起こす土壌を作った原因があったことを追及される可能性があるからだ。 この教師は、かねて生徒への「無関心」が問題視されていたという。
「彼が以前いた大学の附属中学では、韓国語の教育に力を入れるなど熱心だったそうですが、この中学に移ってからは次第にそうした熱がなくなり、無難にやり過ごす態度が目立っていたようです」(PTA関係者)
今回の自殺が起きる直前の昨年夏、この中学校で起きていた“事故”も、担任教師のそうした教育姿勢がもたらしたものではなかったか。同校の生徒の一人が明かす。
「先生が受け持つ柔道の授業で、ある男子生徒が足を怪我したんです。ところが、先生は『大丈夫だ』といって、彼は次の日に行なわれた水泳大会に参加させられた。それで、怪我が悪化してしまったんです。あとでわかったんですが、柔道の授業のときにすでに骨が折れていたようなんです。なのに先生のいうまま、彼は足が真っ赤に腫れた状態のまま水泳大会に出て、終わったあとは全く歩けなくなっていました」
後に生徒の保護者が、教師にこのことを訴えたところ、そっけない態度で軽く流されてしまったという。この男子生徒は、自殺した生徒のクラスメートだった。
この教師は、写真週刊誌『フライデー』の直撃取材に、鼻唄で「ふふ~ふ~♪」と応じたことがインターネットなどで批判を浴びたことから、それ以降は自宅に帰らず、本誌記者の訪問時も不在が続いている。
※週刊ポスト2012年8月3日号
>それだけではない。学校側が恐れているのは、この担任教師自身に、事件を起こす土壌を作った原因があったことを追及される可能性があるからだ。 この教師は、かねて生徒への「無関心」が問題視されていたという。
>「彼が以前いた大学の附属中学では、韓国語の教育に力を入れるなど熱心だったそうですが、この中学に移ってからは次第にそうした熱がなくなり、無難にやり過ごす態度が目立っていたようです」(PTA関係者)
まず、韓国が誕生するより遥か前から朝鮮半島で使われており、今でも北朝鮮人も使っている言葉なのだから、「韓国語」ではなく「朝鮮語」というべきだ。
犠牲となった本多広樹君と犯人3人のうち木村束麿呂と山田晃也の2人が在籍したクラスの担任だった森山進は、前任校の滋賀大学附属中学校では朝鮮語教育に熱心に取り組んでいた。
▼森山進の前任校の滋賀大学付属中学校の異常な学習内容を一部抜粋▼
http://libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp/dspace/bitstream/10441/5193/1/fuchukiyo51p.125-133.pdf
6月9日(月) 「国際理解Ⅱ」①
ハングル講座①
*講師・洪性奉(ホンソンボン)先
生より教授
6月16日(月) 「国際理解Ⅱ」②
ハングル講座②
韓国美湖中生の歓迎準備
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6月23日(月) 「国際理解Ⅱ」③
ハングル講座③
6月30日(月) 「国際理解Ⅱ」④
ハングル講座④
7月2日(水) 「国際理解Ⅱ」⑤
ハングル講座⑤
10月30日(木) 「国際交流Ⅱ」④
全体ガイダンス
10月31日(金) 「国際理解Ⅱ」⑥
日韓交流の歴史を学ぶ①
11月5日(水) 「国際理解Ⅱ」⑦
日韓交流の歴史を学ぶ②
11月10日(月) 「国際理解Ⅱ」⑧
ハングル講座⑥
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ところが、大津市立皇子山中学校に異動してからは、生徒に無関心な教師となった。
学校内でも本多広樹君を虐める犯人たちに対しては一度だけ「やりすぎんなよ」と笑って言ったのみで、それ以降は一緒に笑って虐めを見ていた。
3人から激しいイジメや暴行や傷害や恐喝や犯罪強要を受け、本多君が堪らず担任の森山進に泣きながら電話をしても、マトモに取り合わなかった。
森山進は本多君に対して「そんなんどうでもええわ、君が我慢すれば全て丸く収まる」と発言した!


本多君が死亡する6日前の10月5日、山田晃也らが本多君をトイレでボコボコにしているのを目撃した女子生徒が森山進に止めに入るよう訴えたが、そのとき森山進は「そんなのほっときや」と言い放った!
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120721/waf12072108240004-n1.htm
いじめ目撃「ほっときや」と担任
2012.7.21 08:23、産経新聞
大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺した問題で、男子生徒と同じクラスだった中学3年の女子生徒(15)が産経新聞の取材に応じ、男子生徒がトイレでいじめられているのを目撃した際、担任教諭に止めに入るよう訴えたが、「そんなのほっときや」と言われたと証言した。
証言した女子生徒は、男子生徒が自殺前に学校の窓から飛び降りる練習をさせられているのも目撃。元同級生らに強要され、自宅でも自殺の練習をさせられていたことを他の生徒から聞いたという。
証言によると、男子生徒は自殺前、学校のトイレに連れ込まれ、加害者とされる元同級生らのいじめを受けた。現場を目撃した女子生徒は友人らと教室に戻り、担任に仲裁に入るよう求めたが、担任は「今から帰りのホームルームやし、貴重品を配るのが先。そんなのほっときや」と相手にしなかったという。
また、女子生徒は、男子生徒が校舎3階の窓から身を乗り出しているのを数回目撃している。その際、元同級生らに「ほら、こうやってみ」と指示され、無理やり窓から飛び降りる練習をさせられていた。
学校が昨年10月に実施した全校アンケートでは、「自殺の練習をさせられていた」などと回答した生徒が16人いたが、市教委は「いずれも伝聞情報」として十分な追跡調査をしていなかったことが明らかになっている。
これでは、「週刊ポスト」の記事のタイトルのように「韓国語教育に熱心だったが現在生徒に無関心」では済まされない。
学校内で現在進行形で暴行事件が発生しているとの通報を受けながら、「そんなのほっときや」と言って止めに行かなかったのだから、犯罪にも問える悪質な不作為だ。
森山進は、本当に朝鮮人なのかもしれない。
朝鮮には、次のような「ことわざ」た「教え」があり、森山進は母国の「教え」を忠実に実践したということかもしれない。
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▼朝鮮のことわざ▼
●「川に落ちた犬は、棒で叩け。」
●「他人の家の火事見物をしない君子はいない。」
●「他人の牛が逃げ回るのは見ものだ。」
●「人が自分にそむくなら、むしろ自分が先にそむいてやる。
●「弟の死は肥やし。」
「営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る。」
「女は三日殴らないと狐になる。」
「姑への腹立ち紛れに犬の腹をける。」
「梨の腐ったのは娘にやり、栗の腐ったのは嫁にやる。」
「あんな奴は生まずにカボチャでも生んでおけば、煮て食べられたものを。」
「野生のまくわ瓜は、最初に独り占めした物が持ち主だ。」
「一緒に井戸を掘り、一人で飲む。」
「自分の食えない飯なら灰でも入れてやる。」
「らい病患者の鼻の穴に差し込まれたにんにくの種もほじくって食べる。」
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∨/ノ ≧==、 r==≦ ∨//| お前らやりすぎんなニダよ(笑)
/∨-( \ )--( / )=V- ! そんなんどうでもええ、
{ | }) } 君が我慢すれば丸く収まるニダ!
人l| ,、_j,、) {ノノ そんなのほっときニダ!
| \ ィェェェェェェ、 / | んふぅふぅ~♪
∧ ´ 二二 ` / これ以上やると何をしゃべるかアニョハセヨ
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ィj \  ̄ ̄ / }- 、
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森 山進 先生
実際に、滋賀県には朝鮮人が多いようだ。
(コピペ)
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◆◆終戦後大量に流れ込んだ朝鮮人部落児童の民族学校 滋賀県琵琶湖周辺 ◆◆
http://2ch-dc.mine.nu/v3/src/1342619029967.jpg <参考資料>
戦後日本に流れ込んだ朝鮮民族、滋賀県の琵琶湖周辺の朝鮮民族学校の状況
1945年、戦後に滋賀県に流れ込んだ、朝鮮民族の児童に対する朝鮮民族学校として、1946年には朝鮮民族学校が22校、生徒1260人、朝鮮人教員60人と膨れあがった。
これら滋賀県に流れ込んだ、朝鮮民族児童へ校舎提供と教員給与を日本政府が負担提供してあげた。次第に祖国に帰る家族や、民族学校から日本人の学校に通う児童が増えるにしたがって、民族学校は縮小された。また、日本人の学校に通う朝鮮民族児童には無償で教育を日本政府は提供した。
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森山進が朝鮮語教育には熱心だったが、生徒の虐め問題には無関心で、「やり過ぎんなよ」と笑いながら一緒に虐めを見ていたり、本多君に泣きながら相談されても「そんなんどうでもええ、君が我慢すれば丸く収まる」と発言したり、暴行現場を目撃した女子生徒から止めに入るよう訴えられても「そんなのほっときや」と言ったりしたことは、森山進が朝鮮人で祖国朝鮮の「教え」に忠実に従ったと考えると説明が付く。
(つづく)